京阪電車の京都の終着駅の出町柳駅は、叡山電車の始発駅でもあります。
鞍馬、貴船、大原といった観光地に訪れる時によく利用する駅ですね。
上記の観光地に訪れることを目的として叡山電車を利用する場合、出町柳駅は単なる乗り換え駅としてしか意識したことがないという方も多いことでしょう。
また、叡山電車の本数は意外と多く、それほど待たずに乗車することができるので、待ち時間に駅周辺を散策して時間をつぶすということもあまりしないと思います。
なので、出町柳駅にはよく行くけど、周辺に何があるか知らないという方も多いのではないでしょうか。
そこで、今回の記事では、出町柳駅近くに建つ3つのお寺を紹介したいと思います。
1.光福寺
出町柳駅の叡山電車の改札口から東に2分ほど歩いた場所に光福寺が建っています。
光福寺は、正式には干菜山光福寺と称し、「ほしな寺」とも呼ばれています。
このお寺が、干菜山光福寺と呼ばれるようになったのは、安土桃山時代のことです。
文禄2年(1593年)のある日、豊臣秀吉は、鷹狩の途中に光福寺に立ち寄りました。
その時、住職の宗心が乾菜(ほしな)を献上したことから、秀吉より干菜山光福寺の称号を与えられたそうです。
2.常林寺
出町柳駅から鴨川の東側の川端通を少し南に歩くと常林寺が建っています。
もともとは、寺町荒神口に建っていたのですが、寛文11年(1671年)の大火で類焼し、その後、現在地に再建されました。
常林寺は、9月になると境内に植えられた萩の花が咲くことで知られており、「萩の寺」とも呼ばれています。
また、幕末には、勝海舟が海軍伝習生として長崎や神戸に赴く際の宿坊として利用したお寺としても有名です。
3.出町妙音堂
出町柳駅から西の河合橋と出町橋を渡ったところに出町妙音堂が建っています。
出町妙音堂には、本尊の青龍妙音弁財天画像が祀られています。
この本尊は、技芸上達のご利益があると信仰されており、京都七福神の一神に数えられています。
青龍妙音弁財天画像は、鎌倉時代に西園寺公衡(さいおんじきんひら)の娘の寧子(ねいし)が後伏見天皇に嫁ぐ時に念持仏として持参したもので、伏見離宮に祀られていました。
その後、伏見宮邸が当地に移った際に青龍妙音弁財天画像も遷座しました。
しかし、明治維新で伏見宮が東京に移ると青龍妙音弁財天画像も東京に移りました。
ところで、東京に移ってしまった青龍妙音弁財天画像がなぜ出町妙音堂に祀られているのでしょうか。
それは、京都の信者達が青龍妙音弁財天画像を出町柳に戻してほしいと再三にわたって懇願したからです。
もしも信者たちの懇願が受け入れられなければ、現在の出町妙音堂は、「伏見宮邸跡」と刻まれた殺風景な石碑が置かれるだけだったかもしれませんね。
以上、出町柳駅近くに建つ3つのお寺を紹介しました。
電車の待ち時間に3つ全て訪れるのは難しいですが、1つだけなら十分に訪れることができます。
待ち時間に余裕がある時にぜひ訪れてみてください。