京都市伏見区に油掛通という名の道路があります。
その名は、通りに西岸寺(さいがんじ)というお寺があり、そこに油掛地蔵が祀られていることが由来とされています。
さて、油掛通には、「我国に於ける電気鉄道事業発祥の地」と刻まれた石碑があります。
そう、日本での電鉄の営業は、京都市から始まったのです。
下油掛から京都駅まで全長6.7km
下の写真に写っているのが油掛通です。
油掛の名がつく町名は、上、中、下の3つあります。
ここからは伏見港が近かったため、江戸時代には京都と大坂を行きかう旅人達で大いに賑わったそうです。
また、明治時代に入ると、第一銀行が京都支店に続いて伏見支店を開設しています。
江戸時代から近代にかけて、この地が経済に重要な場所であったことがうかがえますね。
だから、日本で最初の電気鉄道の営業が開始されたのでしょう。
電気鉄道が営業を開始したのは、明治28年(1895年)2月1日でした。
下油掛から京都駅まで全長6.7kmの電鉄で、のちに市電となります。
電鉄が開業した年は、京都で勧業博覧会が行われた年でした。
博覧会の出品点数は、工業館で約11万点、農林間で約8万点、美術館で約5千点と非常に多く、博覧会が行われている期間の入場者数は113万人を超えたとか。
この113万人の中には、下油掛から電鉄に乗車して京都駅まで向かった人たちも、たくさんいたことでしょう。
この日本初の電気鉄道は、京都電気鉄道伏見線と呼ばれていました。
当時、電力をどうやって確保していたのかというと、琵琶湖疏水を利用して発電した電気を使っていたそうです。
琵琶湖疏水は、明治維新で首都が東京に遷って京都の経済が衰退しそうになっていたのを防ぐ役割を果たします。
水力発電はもちろんのこと、水運、工業用水や灌漑用水、衛生対策用水として利用され、京都経済の発展に大きく貢献してきました。
ピンチはチャンスと言いますが、京都の経済が近代になって大きく発展したのは、首都が東京に遷って、京都市民たちが危機感を覚えたからなのかもしれません。
油掛通の片隅にひっそりと立つ古びた「電気鉄道事業発祥の地」の石碑を見ていると、当時の人々が、どうにかして京都に活気を取り戻そうと努力して流した汗が染み込んでいるように思えてなりません。
現在、油掛通の周辺は車の通りが多く、近くの大手筋商店街もたくさんのお客さんで賑わっています。
全国各地の商店街は衰退していってますが、大手筋の商店街はいつも活気があります。
過去に経済衰退の危機を乗り越えてきた経験があるから、今も賑わっているのかもしれませんね。
なお、「電気鉄道事業発祥の地」の石碑は、京阪電車の中書島駅から北に5分ほど歩いた辺りに建つ駿河屋本店の入り口付近にあります。