1月上旬に真如堂にお参りをした後、その隣に建つ金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)を訪れました。
金戒光明寺と真如堂は近くにあるので、どちらかに参拝したら、必ずもう一方にもお参りをします。
本来なら、南西にある高麗門から金戒光明寺の境内に入るものなのでしょうが、先に真如堂にお参りをした関係で、境内の北にある墓地から入ることに。
植えられたばかりで背が低い三代目の松
墓地の近くに建つ三重塔の前にやってきました。
三重塔は高台にあるので、そこから京都市街を一望できます。
この日は曇りで、小雨もぱらつく天気だったため、お世辞にも爽快な眺めとは言えませんね。
下の写真に写っているのが三重塔です。
この塔は、寛永10年(1633年)に伊丹重好が徳川秀忠の菩提を弔うために建立したものです。
以前は内部に文殊菩薩が祀られていましたが、平成20年(2008年)4月に御影堂(みえいどう)脇壇に遷座されたため、現在はその分身を本尊として祀っています。
三重塔から文殊菩薩を遷座し祀っている御影堂。
なお、文殊菩薩像は、運慶作と伝えられています。
御影堂の前から見渡す境内。
こうやって境内を見渡していて、ふと違和感を覚えました。
確か、御影堂の右側に熊谷直実鎧掛けの松があったのですが、その姿が見当たりません。
以前、鎧掛けの松が植えられていた場所には、背の低い松が植えられており、以前の立派な鎧掛けの松とは姿かたちが全く違います。
松の近くに寄ると説明書が立っていたので、それを読んでみることに。
すると、以前植えられていた熊谷直実鎧掛けの松は2代目で、平成25年9月に枯れてしまったとのこと。
現在の松は3代目で、説明書の日付が平成26年3月となっていたので、その頃に植えられたのでしょうね。
2代目のような立派な松に育つのにどれくらいの期間がかかるのでしょうか。
今後も見守っていきたいですね。
新しくなった山門
境内に建つ阿弥陀堂にお参りです。
阿弥陀堂は慶長10年(1605年)に豊臣秀頼が再建したお堂です。
堂内には、恵心僧都源信の最終作と伝わる阿弥陀像が祀られています。
戸が少し開いていて、そこから中の阿弥陀さまにお参りできます。
金色の姿をした柔らかな表情の阿弥陀さまにお参りを済ますと、何とも心が和みます。
こちらは、以前は経蔵だった納骨堂です。
阿弥陀如来「骨佛」を本尊とし、金戒光明寺と有縁の納骨者の霊を供養しています。
石段の上から山門を見下ろします。
山門の正面には「浄土真宗最初門」の勅額がかかっています。
この勅額は、後小松天皇の宸翰(しんかん)で、浄土宗の開祖法然上人が、浄土の教えの真実義を広めた念仏発祥の地という意をあらわしています。
浄土真宗という文字がありますが、親鸞聖人が開いた浄土真宗とは意味が異なります。
現在の山門は万延元年(1860年)に再建されたもので、平成25年に大修復が行われました。
修復されたばかりとあって全体的にピカピカとしていますね。
それにしても石段下から見上げる山門は、いつもながら雄大さを感じさせます。
参拝を終えたので、南西に建つ高麗門からでることに。
この高麗門も威風堂々していますね。
なお、金戒光明寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。