紫式部の作品の源氏物語の主人公は、光源氏ですよね。
光源氏は、物語の中で美男子として描かれているのですが、その美男子の幽霊だったら一目見たいという方もいるのではないでしょうか。
実は、光源氏の幽霊が出ると言われている場所が京都にあります。
それは、木屋町五条です。
河原院があった木屋町五条
光源氏は、源氏物語に出てくる架空の人物です。
でも、光源氏のモデルとされている人物がいるので、必ずしも創作上だけの人物とは言い切れません。
そのモデルとされているのが、源融(みなもとのとおる)です。
源融は、弘仁13年(822年)に嵯峨天皇の第8皇子として誕生しました。
高貴な家に生まれた源融ですから、彼を光源氏のモデルだと言っても、特に違和感はありませんね。
源融が住んでいたのは、六条大路と六条坊門小路の間にあった河原院塩竃第(かわらのいんしおがまのだい)で、現在の木屋町五条の辺りとされています。
河原院には、鴨川の水を引いて造った池があり、庭園は、宮城県の塩竃の浦の景観を移したものだったようです。
源融は、毎月、難波の海(大阪湾)から海水を邸宅に運ばせて、塩焼きをし、その風情を楽しんでいたと伝えられています。
現在、河原院のあった辺りは本塩竃町といい、地名にその名残があります。
皇位を継承できず怨霊に
源融は、嵯峨天皇の皇子だったため、陽成天皇が譲位した際、自分にも皇位継承権があることを主張しましたが、退けられます。
さらに宇多天皇にも意見を述べて信用を失ったため、政界から引退し、その後は河原院や宇治の平等院で風雅な暮らしをしていたようです。
河原院は、源融の死後、その子の昇が譲受けました。
でも、昇は、河原院を宇多天皇に寄進しました。
源融の幽霊が出るようになったのは、この頃からです。
以前に紹介した「京都『地理・地名・地図』の謎」によると、あるとき、宇多法皇が京極御息所(きょうごくみやすどころ)とともに河原院の庭園を楽しみ休んでいたとき、源融の幽霊が宇多法皇にとりつき、それを見た京極御息所が恐怖のあまり倒れたということです。
源融が幽霊になったのは、自分が丹精込めて造った豪邸を宇多法皇に取られて恨みに思ったことが理由として挙げられています。
また、皇位を巡る論争の時、太政大臣の藤原基経に皇位継承権を一蹴されたことから、皇位に執着するあまり、幽霊となって宇多法皇にとりついたとも伝えられています。
その後、河原院は、建仁3年(1203年)に全焼します。
現在、河原院の跡地とされている場所には、源実朝の後室・坊門信子(ぼうもんのぶこ)が創建した本覚寺が建っています。
もしかすると、夜中に本覚寺の辺りを歩いていると、源融の幽霊が出るかもしれませんよ。
なお、本覚寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。