京都には、学問の神様の菅原道真を祀った神社がたくさんあります。
その中でも、上京区の北野天満宮が一番有名ですが、南区に建っている吉祥院天満宮も忘れてはいけません。
18歳で文章生に合格
菅原道真は、学問の神様と言われるだけあって、子供の頃から勉強ができたようです。
特に18歳で、難関試験に合格し文章生になったことは有名な話ですね。
道真が文章生になるまで、生活していたのが、現在、吉祥院天満宮が建っている地と伝えられています。
吉祥院天満宮は、道真が亡くなって31年目の承平4年(934年)に朱雀天皇が道真の霊を祀るために創建しました。
もともと、この地は、道真の祖父の清公の邸宅があった場所でした。
清公は、延暦23年(804年)に遣唐使として唐に向かう海上で、暴風に遭いました。そこで、最澄とともに吉祥天女に祈りを捧げたところ、暴風は静まり、無事に遣唐使としての任務を果たすことができました。
そして、日本に帰った清公は、自邸内に吉祥天女を祀り、吉祥院と名付けたそうです。
境内に入ると西側に拝殿があります。
拝殿の手前には、天満宮でよく見かける2対の牛が置かれています。
上の写真がその牛なのですが、亀に見えなくもないですね。
吉祥院天満宮には、菅原道真が18歳まで過ごしたことが伺える史跡がいくつかあります。
境内の東側にある菅公胞衣(えな)塚は、道真のへその緒が埋めてあるそうです。
初宮詣りの際は、本殿参拝後、ここで赤ちゃんの鼻をつまんで泣かせ、発声のはじめとし、無事成長することを祈る習わしになっているとか。
拝殿の脇には、硯之水の碑があります。
道真が文書を書くときに使った泉の跡だそうです。
石碑は、昭和61年(1986年)に篤志家の奉納により造られたものです。
境内の南東の端には、鑑(かがみ)の井があります。
鑑の井は、道真が参朝の際に自分の姿を写した井戸です。
ここで身だしなみを整えたのでしょうか。
吉祥院天満宮は、道真が誕生した地とも伝えられています。
道真誕生地は、他にも下京区の菅大臣神社や上京区の菅原院天満宮神社など諸説あって、どれが本当なのかは、よくわかりません。
しかし、吉祥院天満宮の史跡を見る限りでは、道真が青春時代を過ごした場所は、当地のようですね。
合格祈願は、道真が文章生になるまで過ごした地である吉祥院天満宮に参拝するとご利益がありそうですね。
なお、吉祥院天満宮の詳細については、以下のページを参考にしてみてください。
また、菅原道真に関しては、当ブログで以前にも紹介していますので、以下の過去記事もご覧になってください。