京都市中京区の地下鉄京都市役所前駅を出て寺町通を南に約5分歩くと、その東側に三条通から四条通にかけてアーケード街の新京極通があります。
通り沿いには、お土産物屋さん、ドラッグストア、服屋さん、飲食店、ゲームセンター、映画館、パチンコ店など、買い物や娯楽を楽しむための施設が軒を連ねていますね。
それもそのはずで、新京極通は誕生した時から娯楽を目的としており、今もその目的通りに栄えています。
繁華街として選ばれた理由
新京極通は、かつて東京極大路だった寺町通の東側に新しく造られたことがその名の由来です。
明治5年(1872年)に京都府参事であった槇村正直(まきむらまさなお)が、東京遷都でさびれた京都を盛り上げるべく、造ったのが新京極通でした。

新京極通
新京極の説明書によれば、寺町通の東に新京極通を造ったのは、豊臣秀吉が寺町通に寺院を集め、その境内が縁日の舞台として利用され、周辺が見世物や催し物を中心に発展するようになったことに槇村正直が目をつけたからとのこと。
また、新京極には、落語の祖とされる安楽庵策伝が住職を務めた誓願寺もあり、江戸時代から繁華街となる要素があったんですね。
その誓願寺の前には、迷子みちしるべと刻まれた石柱もあり、迷子を捜している人がここに紙を貼って報せるようになっているのも、繁華街で遊んでいる最中に迷子になる子供がいたからなのかもしれません。

誓願寺の迷子みちしるべ
活動写真の試写会で新京極の名が高まる
槇村正直が寺院整理をして新京極に娯楽施設を造り京都を盛り上げようとした試みは、明治10年頃から効果を発揮し始めます。
日本実業出版社の『京都の歴史がわかる辞典』には、原田与三松という人物が明治11年5月に調べた記録が紹介されており、新京極で以下の商売が行われていたとのこと。
- 芝居座、浄瑠璃、寄席、身振狂言などの小屋
- 楊弓17軒
- 蕎麦屋や寿司屋、牛鍋料理などの食堂19軒
- 饅頭・餅屋6軒
- ぜんざいや6軒
- 写真師、いわゆる写真館5軒
- 写真や絵を売る商売4軒
- 精肉店3軒
- 抜歯(歯医者)
- 衿屋(着物の衿を売る店)
- 歯磨化粧店(ドラッグストア)
- 薬風呂
上記の他にも多種雑多なお店が新京極で商いをしていたそうですから、新京極通ができて間もない時期から賑わいを見せていたんですね。
特に新京極の名を高めたのは、明治30年3月から6月まで行われた稲畑勝太郎による活動写真の試写会だったそうです。
スクリーンに映し出す方式の活動写真シネマトグラフは、新京極ではじめて興行的な成功を収め、映画ビジネスの始まりとなります。
それが後の新京極興行界に大きな影響を与え、京都を映画で有名にしていくことになります。
太秦(うずまさ)の映画村も、新京極でのシネマトグラフの成功がなければ存在していなかったかもしれませんね。
明治30年代には、新京極は、東京の浅草、大阪の千日前とともに日本の三大盛り場として知られるようになり、今もその活気は続いています。
このようにして繁華街として発展してきた新京極通ですが、やはり京都らしくお寺や神社も、お店に挟まれるようにして建っています。
和泉式部ゆかりの誠心院は、両脇のお店に山門が押されるように建っていて窮屈に見えますね。

誠心院
錦天満宮も新京極通沿いにあり、こちらは国内外からお越しの旅行者に人気で、いつも境内が混雑しています。

錦天満宮
現在の新京極通は、明治30年代よりもさらに賑わっており、さびれる気配がありません。
槇村正直も、さすがに現在の賑わいを想像していなかったでしょうね。