三条通から神宮道を南に2分ほど歩くと青蓮院(しょうれんいん)があります。
さらに青蓮院から南に2分歩くと知恩院があります。
青蓮院も知恩院も大きな寺院なので、とても目立ちます。
そのためか、両寺院の間にある花園天皇の陵は人の目に触れられず、素通りされてしまうことが多いですね。
山道の先にある天皇陵
花園天皇の陵は、正式には花園天皇十樂院上陵(はなぞのてんのうじゅうらくいんのうえのみささぎ)といいます。
最寄り駅は、地下鉄の東山駅で、駅からは南東に約7分歩くと天皇陵の入り口に到着します。
入り口の近くには、ここから北の山道が、花園天皇陵の参道であることを示す石柱が立っています。
後ろの石垣に石柱がとけこむほど調和しているので、ここから花園天皇陵に行けることに気づかない人が多そうです。
石柱の近くの石段を上ります。
そして門もくぐって山の中に入っていきます。
参道は木々の葉に覆われ、昼でも薄暗いですね。
参道の北側には、青蓮院の塀があり、その向こうにはお堂が見えます。
花園天皇陵を訪れたのは、2023年5月末で、その頃は青蓮院のお堂が工事をしていました。
山道を進んでいきます。
参道にはコケが生え、いかにも、来る人が少ないのがわかります。
左手に竹林が見えてきました。
竹林の近くの参道にはカラーコーンが置かれていますね。
どうやら地面が傷んでいるようです。
参道の登り坂が急になり始めたあたりに建物が建っていました。
これは、宮内庁の建物です。
天皇陵には、多くの場合、このような宮内庁の建物がありますね。
宮内庁の建物を過ぎると平坦な場所に到着します。
この平たんな場所の南側に花園天皇陵があります。
花園天皇は、第95代天皇で、延慶元年(1308年)に後二条天皇が急逝したため、12歳で即位しました。
当時は、天皇家が大覚寺統と持明院統に分かれ、両統から交互に即位する両統迭立(りょうとうてつりつ)の時代でした。
花園天皇は持明院統の天皇で、後に大覚寺統の後醍醐天皇に譲位しています。
この花園天皇から後醍醐天皇への譲位が、約100年間続く南北朝の争乱のきっかけになりました。
花園天皇は、禅に傾倒し、法皇となった後、右京区の花園の離宮を禅寺に改めました。
それが、現在の妙心寺です。
妙心寺の中には、退蔵院などの塔頭(たっちゅう)がたくさんあり、今も国内外から多くの旅行者や観光客が拝観に訪れています。
花園天皇が妙心寺を開いたことは、現在の観光都市京都にとって、大きな功績と言えますね。
青蓮院や知恩院に観光で訪れた際は、ぜひ、花園天皇の陵にもお参りをしてください。