12月上旬に京都市上京区の廬山寺に参拝した後、北隣に建つ清浄華院(しょうじょうけいん)にも参拝しました。
清浄華院は、浄土宗四ヵ本山の一つに数えられるお寺で、年に何度か訪れています。
京都御苑の東にあるので、その観光の際に参拝するのがおすすめです。
法成寺の遺跡
清浄華院には、地下鉄の今出川駅から南東に約7分歩くと到着します。
京阪電車の出町柳駅からだと南西に徒歩約7分です。
寺町通に面する総門。
総門をくぐった左手に陰陽師の安倍晴明ゆかりの泣不動尊が祀られているので、中に入ってお参りをしましょう。
境内は、人の姿が見えず静まり返っていました。
12月になると、京都市内は、旅行者や観光客の姿が一気に少なくなります。
西向きに建つ大書院の前に植えられている蜂須賀桜は、まだ緑色の葉をたくさん残していました。
蜂須賀桜の葉は、晩秋に黄色く染まるのですが、今年は黄葉するのが遅いようです。
大書院の前に今までなかった小さな庭のようなものができていました。
これは、最近、発掘された法成寺(ほうじょうじ)の礎石や石仏だそうです。
上の写真の中央にある白色の平たい石が大型礎石で、その右後ろにあるのが金剛界大日如来坐像の石仏、そして、石仏の右側にある茶色の石が有孔石材です。
法成寺は、平安時代に藤原道長が創建した寺院です。
北は、廬山寺、南は荒神口通、東は河原町通、西は寺町通まであったと伝えらていることから、とても大きな寺院だったことがうかがえます。
宇治の平等院や南山城の浄瑠璃寺は、法成寺をモデルとして創建されたといわれています。
しかし、法成寺は、14世紀には荒廃し廃絶しました。
現在は、鴨沂高校の近くに法成寺跡を示す石碑があるくらいで、その栄華を伝えるものはほとんど残っていませんでした。
ところが、令和3年(2021年)12月に清浄華院から南東に約5分歩いた東桜町25-3(世界救世教いづめ京都跡地)の工事現場から、上の写真の法成寺の遺跡が発掘されました。
清浄華院の説明書によると、工事現場担当者から石仏とその台座が出土したため、供養してほしいとの連絡が当院にあり、現場に向かうと大変珍しい大日如来の石仏だったとのこと。
石仏の台座と説明された石は、凹状の加工痕や激しく火中したらしい形跡があったそうです。
これらの出土品を見た歴史に詳しい職員が、法成寺の遺物ではないかと言い、清浄華院に運ばれることになりました。
そして、後日、工事現場からまた石造物が見つかり、清浄華院に連絡が入ります。
その石造物は、巨大な礎石であり、法成寺の遺物ではないかということで、最初に見つかった石仏など3点が、後に京都市文化財保護課などとも情報共有され、実測や拓本などの記録もし、令和4年1月に正式に清浄華院が受け入れることになったそうです。
ただ、出土時の周囲の状況が記録されなかったため、考古学的な分析ができず、法成寺の遺物だと確定することはできないようです。
清浄華院の説明書には、「令和四年四月 法成寺金堂供養壱千周年記念 大本山 清浄華院」と「令和四年十月 法成寺金堂供養壱千周年記念 大本山 清浄華院」と書かれていました。
私は、3月に清浄華院にお参りをしていますが、その時には石仏も礎石もありませんでした。
これらは、4月以降に大書院の前に置かれるようになったのでしょうね。
茶色い有孔石材は、長部約80cm、短部約60cm、高さ45cmの大きさで、大日如来の近くから掘り出されたので、その台座だと考えられています。
上部にくぼみがあることから、塔心礎の舎利孔、門扉の軸棒を受ける唐居敷(からいじき)だった可能性があるそうです。
また、近隣を工事すると、法成寺の遺跡が見つかるかもしれませんね。
初冬の境内の景色
大書院の前に植えられているカエデは、まだ半分くらいモミジが残っていました。
風が吹けば散ってしまいそうです。
大殿の前にあるのは、法然上人御骨塔です。
近くに鎮守社があったのですが、どこに行ったのでしょうか。
辺りを少し探してみると、鎮守社は、大殿の西側に移転していました。
朱色の鳥居がある方が浄花稲荷社で、その隣にあるのが山王権現(ごんげん)社です。
山王権現社が清浄華院の総鎮守で、浄花稲荷社は江戸時代中頃から祀られるようになったそうです。
手水鉢には、いつものように清らかな水が流れ込んでいましたよ。
そろそろ、清浄華院から出ることに。
清浄華院にお参りをする際は、ぜひ、法成寺の礎石や石仏もご覧になってください。
なお、清浄華院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。