5月下旬に京都府乙訓郡大山崎町の大念寺に参拝した後、さらに天王山を5分ほど登り、宝積寺(ほうしゃくじ)を訪れました。
宝積寺は、宝寺とも呼ばれています。
宝寺なんて、福を招いてくれそうな縁起の良い名ですね。
天王山を上った時は、宝積寺で、しっかりと福を授かって帰りたいです。
仁王門から参道の風景
宝積寺の最寄り駅は、JRの山崎駅です。
駅からは、天王山を15分から20分登ると宝積寺の仁王門の前に到着します。
阪急電車だと大山崎駅が最寄り駅です。
仁王門の中央には、大黒点の提灯が吊るされており、この門をくぐると大黒さまにお参りできることがわかります。
仁王門の左右には、年季の入った金剛力士像が怖い顔をして立っていますよ。
仁王門をくぐるとまっすぐに長く延びた参道が現れます。
そして、ゆっくり参道を歩いていくと、左手に不動堂が建っています。
不動堂の近くで、満面の笑みを浮かべた布袋さまが座っていらっしゃいました。
宝積寺まで登って来ると足が疲れるのですが、この笑顔を見るとその疲れがどこかに行ってしまいますね。
不動堂の正面には、待宵の鐘があります。
待宵の鐘は、良縁成就のご利益を授けてくれますよ。
本堂と小槌の宮にお参り
長い参道をさらに歩き、石段を上ると本堂が建っています。
それでは、本堂にお参りをしましょう。
本堂のわきには、様々な色の袋がたくさん奉納されていました。
これは、何なのでしょうか。
まるで、京都市東山区の八坂庚申堂で見るくくり猿のようですね。
本堂の左隣に建つのは小槌の宮です。
小槌の宮には、大黒さまが祀られているので、福徳円満、金運招福のご利益を授かれるよう、しっかりと祈願しておきましょう。
宝積寺は、神亀年間(724-729年)に聖武天皇の勅願により行基が建立し、打出と小槌を奉納したのが始まりです。
聖武天皇は、夢の中で、龍神から打出と小槌を授かり、祈願すると天皇に即位したといわれています。
その後、大黒天神をインドから招いて祀ると、財福、繁栄、増進の神さまとして崇敬されるようになったとのこと。
境内には鎮守社がいくつかあり、その周囲では初夏らしくカエデが美しい黄緑色の葉をたくさん付けていました。
再び参道に戻ります。
参道の途中には、醍醐寺の五重塔に似た三重塔が建っています。
この三重塔は、山崎の合戦で勝利した羽柴秀吉が、一夜で建てたと伝えられていることから一夜之塔と呼ばれています。
山崎の合戦では、ここ宝積寺が秀吉の陣となり、合戦後も山崎城の一部として利用されました。
また、幕末の元治元年(1864年)の蛤御門(はまぐりごもん)の変では、真木和泉ら長州系の残党が天王山にたてこもったことから新撰組が攻撃し、宝積寺も戦禍を被っています。
その後、少しずつ復興され現在の姿となりました。
今は、割と静かな宝積寺ですが、何度も戦乱に巻き込まれてきたんですね。
そろそろ宝積寺から出ましょう。
初夏の宝積寺は、空気とカエデの新緑がきれいでしたよ。
この後は、観音寺に参拝します。
なお、宝積寺の詳細については以下のページを参考にしてください。