11月初旬に京都市中京区の矢田寺に参拝した後、新京極通を少し南に歩き、誓願寺を訪れました。
誓願寺は、若者で賑わう新京極通の広場のようになっている「ろっくんプラザ」の近くに建っています。
とても目立つ場所にあるのですが、中に入ってお参りをしていく人は少ないですね。
天智天皇6年の創建
誓願寺の最寄り駅は、地下鉄の京都市役所前駅です。
駅からは、南に約7分歩くと、誓願寺の山門前に到着します。
京阪電車だと、三条駅から西に徒歩約10分です。
山門の前には、記念撮影用の新京極通のパネルが設置されています。
そして、山門の左側にある高い石柱には、迷子みちしるべと刻まれています。
迷子や落とし物を探している人が、この石柱に貼り紙をしたと言われていますよ。
山門をくぐって境内に入ると西向きに大きな本堂が建っています。
では、本堂に上がってお参りをしましょう。
誓願寺は、天智天皇6年(667年)に天智天皇の勅願所として創建されたのが始まりとされています。
もともとは奈良にあったのですが、鎌倉時代初期に上京区の一条小川に移転しました。
現在も、誓願寺があった一条小川には、元誓願寺通の地名が残っています。
京都には、古いお寺がいくつもありますが、その中でも、誓願寺はかなり歴史の長い部類に入りますね。
ちなみに京都最古のお寺は右京区の広隆寺です。
誓願寺は、もとは三論宗でしたが、法然上人が、興福寺の蔵俊僧都より当寺を譲られてから浄土宗に改宗しています。
なお、現在地に移転してきたのは、天正19年(1591年)の豊臣秀吉の京都改造の時です。
本堂の中には、山門の外からでも拝めるほど大きな阿弥陀さまが祀られています。
かつては、胎内に五臓六腑があったという阿弥陀さまが祀られていましたが、天明の大火(1788年)で焼失しています。
賢問子と芥子国の親子の作と伝わる貴重な阿弥陀さまだったそうです。
ちなみに誓願寺は、洛陽六阿弥陀めぐりの一つに数えられています。
本堂の壁には、芸道上達や諸芸成就を祈願して、奉納された扇がかかっていますよ。
こちらは、3面体のお地蔵さま。
以前は2面体だと思っていたのですが、後ろ側にもう1体いらっしゃることに気づきました。
本堂の前には、一言観音菩薩ののぼりがたくさん立っています。
本堂の中には、一言観音菩薩も祀られているので、一言だけ祈願しておくと良いでしょう。
なお、誓願寺は、洛陽三十三所観音霊場第二番札所にもなっています。
境内には、縁起が良いナンテンの実がなっていました。
ナンテンの奥には、小さなお地蔵さまがいらっしゃいます。
そして、お地蔵さまの近くには、扇塚がありますよ。
謡曲「誓願寺」では、和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることから、能楽をはじめ舞踊など芸能の世界で尊崇され、江戸時代にお参りする人が増えたのだとか。
誓願寺は、清少納言、和泉式部、豊臣秀吉の側室の松の丸殿が帰依したことから、女人往生の寺としても知られています。
扇塚の近くでは、白色のサザンカが咲いていました。
まだ咲き始めたばかりのようで、花弁は汚れがなく純白でしたよ。
誓願寺から外に出ます。
山門の前には、新京極華舞台が設置されています。
この華舞台では、様々な催しが行われます。
芸道上達や落語で有名な誓願寺の前にぴったりですね。
この後は、誠心院に参拝します。
なお、誓願寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。