10月中旬に京都市東山区の新日吉神宮に参拝した後、西に5分ほど歩き、妙法院を訪れました。
天台宗の三門跡寺院の一つに数えられる妙法院は、格式の高いお寺ですが、誰でも境内に入ることができ気軽にお参りできます。
普段から人も少なく落ち着いているのも妙法院の良いところです。
木々の葉が薄くなりつつある境内
妙法院の最寄り駅は、京阪電車の七条駅です。
駅からは、北東に10分も歩けば妙法院の山門の前に到着します。
市バスだと、「東山七条」からすぐです。
東大路通に面する山門をくぐります。
山門をくぐった正面には、国宝の庫裏(くり)が建っています。
庫裏は、2026年12月まで工事をしています。
6月に参拝した時には工事が始まっていたのですが、そのことをすっかり忘れていました。
庫裡の前には休憩所があるのですが、現在は工事をしている方が使用しており、一般の参拝者は入れなくなっています。
庫裏から南に少し歩き、東に向かう参道に入ります。
参道の右側のカエデは、葉の色が少し薄くなってきています。
まだ気温が夏のように高い京都ですが、少しずつ秋を感じられるようになっています。
11月下旬になれば、妙法院でも紅葉を見ることができますよ。
こちらは、七卿碑です。
文久3年(1863年)8月18日に長州藩を支持する7人の公卿たちが京都政界から追放されました。
彼らは、その後、長州藩に落ちることになりましたが、その前に密議をしたのがここ妙法院です。
上の七卿碑は、妙法院がその史跡であることを示しています。
そして、南向きに建つ大きな建物が宸殿(しんでん)で、七卿落ちは、この中で決議されました。
宸殿の前に建つ普賢堂が妙法院の本堂なので、お参りをしましょう。
妙法院は、永暦元年(1160年)に後白河上皇が新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を勧請(かんじょう)した時に西塔本覚院の昌雲が別当となって創建されました。
その後、鎌倉時代初期に尊性法親王(そんじょうほっしんのう)が入寺して以来、皇族と縁のある門跡寺院となりました。
妙法院は、佐々木道誉に焼き討ちされるなど兵火で焼失しましたが、豊臣秀吉が方広寺を建立するに際して、妙法院を経堂とし、秀吉の寄進を受けて復興されます。
本堂の前では、ツワブキの黄色い花が咲いていました。
本堂と宸殿の間には、小さな鎮守社が建っています。
参道を西に戻り、唐門の前にやって来ました。
唐門の頭上には、雲が多いものの秋空が顔を出しています。
妙法院を訪れるちょっと前までは、雲が多かったのですが、晴れてきて爽やかな空を見ることができました。
帰りは、北門から外に出ることに。
北門近くには、背が低いアカマツが植えられていましたよ。
妙法院は、しばらくは工事で庫裏を見ることができませんが、宸殿は間近で見ることができます。
宸殿は、とても大きな建物で迫力がありますから、妙法院に参拝した時にはしっかりと見ておきたいですね。
このあとは、大谷本廟に参拝します。
なお、妙法院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。