10月上旬に御香宮神社に参拝した後、東に7分ほど歩いて乃木神社にも参拝しました。
乃木神社は、明治の軍人の乃木希典(のぎまれすけ)を祀っている神社なので、その歴史は100年ほどです。
京都市内では、比較的新しい神社ですね。
乃木神社が建つ桃山は、あまり観光で訪れる人がいないので、乃木神社も混雑することは滅多にありません。
秋晴れの境内を歩く
乃木神社の最寄り駅は、JRの桃山駅です。
駅からは、東に徒歩約5分で乃木神社の神門の前に到着します。
近鉄電車の桃山御陵前駅と京阪電車の伏見桃山駅からだと、東に徒歩約10分です。
神門の前にやって来ると、頭上にさわやかな秋空が広がっていました。
神門をくぐって境内に入ります。
参道には人がいません。
いつもながら乃木神社の境内は静かであります。
参道のわきには、乃木三典一静之松が植えられています。
三典は、乃木希典とその子の勝典、保典のことで、一静は、彼の妻の静子のことです。
古来から松は、長寿の象徴とされ、相生(あいおい)の松は夫婦円満、良縁成就の象徴といわれています。
乃木神社の松は、大正10年(1921年)に播州高砂尾上社の相生の松から株分けしたものだそうです。
参道をまっすぐ進んだ先には拝殿が建っています。
拝殿の左側の手水鉢には、名水の勝水が流れ出しています。
乃木神社には、創建当初から伏見城の名水と水源が同じ勝水が湧き出し勝運の縁起水として崇められていましたが、後に周辺開発により勝水は枯渇してしまいました。
現在の勝水は、その後に掘削をして、地下80メートル以上掘ったところで取水に成功したもので、平成18年(2006年)に60数年ぶりに復活しています。
なお、この勝水は手水に使うもので、ペットボトルに汲んで持ち帰るのは禁止となっています。
それでは、拝殿の前から本殿に向かってお参りをしましょう。
山城ゑびす神社
拝殿の隣には、山城ゑびす神社が建っています。
乃木神社を創建した村野山人は、乃木夫妻と2人の子を本殿に祀ろうとしましたが、当時の内務省は、乃木希典の奉祀しか認めませんでした。
そのため、村野山人は、大正7年に本殿の西隣に乃木希典の妻の静子を祀る社殿の建立を願い出、同8年に静魂神社が建てられました。
後に恵比須神を首座とする七福神が合祀され、静魂七福社と改称されます。
説明書によれば、静魂七福社は、南山城地域唯一の「えべっさん」として、商売繁盛の信仰を集めてきたそうですが、七福神を合祀した理由は不明だとのこと。
平成18年に乃木神社創建90年を機に村野山人の望み通り、静子の御霊を本殿に移すこととなり、静魂七福社は、山城ゑびす神社に改称されます。
また、同27年には、山城ゑびす神社本殿の修復工事のため遷座祭を行った際、七福神の奉祀を改め、恵比須神のみを祀るようになりました。
現在の山城ゑびす神社となるまでにいろいろとあったんですね。
それでは、山城ゑびす神社にも商売繁盛を祈願しましょう。
山城ゑびす神社の社殿の前には、2匹のタイがいます。
1匹の体には「商売繁盛」と書かれており、もう1匹の体には「幸せに成り」と書かれています。
これは、幸せになりたいというダジャレなんですね。
山城ゑびす神社の近くのカエデは、上の方が赤く色づいていました。
この日は、気温が30度まで上がり、夏のような気候だったのですが、色づくカエデを見ると季節が進んでいるのを感じます。
ライオンの頭には、赤色の葉がたくさん乗っていました。
こちらは、ナツメの木です。
日露戦争で、乃木希典は大将として旅順要塞を攻略しました。
旅順要塞を守っていたロシアの将軍ステッセルと乃木希典は、その後、水師営で会見しています。
その水師営から移植したのが、このナツメの木だそうです
本殿にお参りを済ませたので、そろそろ乃木神社から出ましょう。
秋晴れの空の下、良いお参りができました。
この後は、明治天皇伏見桃山陵を訪れます。
なお、乃木神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。