9月初旬。
京都市北区の上善寺に参拝した後、南に少し歩き天寧寺(てんねいじ)に参拝しました。
天寧寺は、寺町通沿いに建つお寺です。
あまり有名なお寺ではないのですが、境内には、意外と見るものが多いです。
私は、過去に何度か天寧寺を訪れていますが、今回は久しぶりの参拝になりますね。
初秋のさわやかな境内
天寧寺には、地下鉄の鞍馬口駅から東に5分ほど歩くと到着します。
入り口に建つ表門は、額縁門とも呼ばれています。
門の奥に見える山は比叡山。
まるで、比叡山を額に入れたかのような眺めから、額縁門と呼ばれているんですね。
境内に入ります。
比叡山は、境内から見るのもきれいですよ。
この日は、初秋のすがすがしい空が広がり、空気が澄んでいました。
そのため、比叡山もくっきりと見えましたよ。
表門をくぐった左側に観音堂が建っているので、お参りをしましょう。
観音堂の後ろには、カヤの木が植えられています。
天寧寺のカヤの木は、昭和62年(1987年)に京都市登録天然記念物とされました。
樹高16.2メートル、胸高の周囲は4.78メートルある大木で、幹の本堂側には、天明の大火(1788年)の本堂火災時に受けたと思われる傷痕が見られるそうですが、この位置からでは確認できません。
参道わきには、諫鼓鶏(かんこどり)の石灯籠が立っています。
表門近くに諫鼓鶏の説明書が貼られていたので読んでみることに。
諫鼓鶏とは、「諫鼓苔深くして鳥驚かず」という漢詩に由来し、天下泰平の象徴とされています。
中国の伝説上の君主である尭(ぎょう)王の時代、民がその施政について諫言しようとする際に打ち鳴らすために、朝廷の門外に太鼓を設け、これを諫鼓と呼びました。
しかし、君主は、善政を行ったので太鼓は鳴らされることはなく、永年の間に苔むして、鶏の格好の遊び場となったと伝えられています。
諫鼓鶏は、平和の象徴のようなものなんですね。
鐘楼の頭上に広がる青空。
天寧寺には、フヨウが多く植えられているのですが、この日は、咲いている花が少なかったです。
今回の参拝は、フヨウを見ることも目的だったので、ちょっと残念ですね。
2基並んだ石塔のうち、右の細い石塔は、明智光秀公報恩塔です。
天寧寺は、南北朝時代に会津に創建されましたが、天正年間(1573-1592年)に現在地に移転しています。
この天寧寺上洛に際し、明智光秀が関わっていたと考えられています。
平成11年(1999年)に本堂の改修工事を行ったところ、須弥壇の天井裏から明智光秀の位牌が見つかったそうです。
その位牌は、天寧寺上洛の報恩のために作られたのではないかということです。
ただ、天寧寺が現在地に再建されたのは、伊達政宗の会津侵攻で焼失した後の文禄4年(1595年)との説もあります。
明智光秀は、1582年に亡くなっているので、1595年の再建だと辻褄が合わなくなりますね。
ちなみに会津にも天寧寺はあり、新撰組局長の近藤勇のお墓があることで知られています。
先ほど見たフヨウの奥には庫裏(くり)が建っています。
鎮守のお稲荷さんにもお参りをしておきましょう。
それにしても、爽やかな秋空であります。
暑かった夏が終わり、境内では、時折心地良い風が吹いていましたよ。
この後は、上御霊神社に参拝します。
なお、天寧寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。