5月中旬に京都府八幡市の流れ橋を訪れた後、近くの石田神社に参拝しました。
以前にも、石田神社に参拝したことがありますが、それは随分と前のこと。
なかなか流れ橋の付近に来ることがないので、石田神社を訪れる機会も少ないです。
せっかく近くに来たことですから、久しぶりに石田神社にも立ち寄ろうと思った次第です。
初夏の明るい境内
石田神社には、京阪電車の石清水八幡宮駅(いわしみずはちまんぐうえき)から京阪バスに乗車し、「上津屋流れ橋」で下車して徒歩約2分で到着します。
境内の入り口には石造りの鳥居が建っています。
鳥居をくぐって参道を進むと、左手に香取神社の小さな社殿が建っています。
祭神は、オオクニヌシの国譲りの神話に登場する建甕槌命(たけみかづちのみこと)です。
香取神社の近くには、細い鳥居も建っています。
細い鳥居の後ろには、天照皇大神伏拝所と刻まれた石碑があります。
南向きに拝むようになっています。
南の方角には伊勢神宮があるので、これは伊勢神宮の遥拝所のようなものなのでしょうか。
参道をまっすぐ西に進み拝殿の前にやってきました。
拝殿の前に建ち、奥の本殿に向かってお参りをしましょう。
石田神社の説明書によれば、大宝2年(702年)に当地に鎮座したことが山城綴喜郡誌に見られるそうです。
かつては、牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていたことから牛頭天王社と呼ばれていましたが、明治時代に石田神社と改称し、牛頭天王と同一視される建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を祭神としたとのこと。
治承4年(11810年)に源頼政が平家追討のために挙兵した際、社殿は焼失しましたが、文治4年(1188年)に源頼朝から神事料を寄進され再興されています。
また、元弘の乱(1331年)では、笠置山参陣の際に楠木正成が当社に立ち寄り願文を奉納したとも伝えられています。
何かと武士と関係のある神社なんですね。
拝殿の後ろには、一間社流造の本殿が建っています。
本殿は石垣の上に建てられています。
これは、近くの木津川の水害を意識して一段高い場所に建てたのではないかと考えられています。
現在の本殿は、嘉永4年(1851年)の造営です。
また、拝殿には、享保20年(1735年)に再建された時に葺いた刻名入りの鬼瓦が収められています。
他に明和2年(1765年)に書かれた算額もあります。
算額は、伊佐政徽(いさまさよし)によるもので、5問の和算問題が示されているそうです。
この算額は、京都では八坂神社に次いで古く、全国でも9番目の古さなのだとか。
江戸中期の八幡地域で、文化教育に関心が強かったことがうかがえます。
本殿の裏に建つ若宮神社。
祭神は以下の8柱です。
- 天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
- 活津日子根命(いけつひこねのみこと)
- 天之菩日命(あまのほひのみこと)
- 熊野久須日命(くまのかさすひのみこと)
- 天津日子根命(あまつひこねのみこと)
- 市寸嶋毘賣命(いちきしまひめのみこと)
- 田露毘古命(たつゆひこのみこと)
- 於岐津毘根命(おきつひねのみこと)
境内のカエデの新緑がまぶしいですね。
もうしばらくは、鮮やかな黄緑色の青葉を楽しめそうです。
入り口の鳥居近くに建つ十三重石塔。
南北朝時代に作られた貴重なものとのこと。
私が石田神社に参拝した日は、他に人が誰もいませんでした。
以前も人がいなかったので、普段から訪れる人は少ないのでしょうね。
誰もいない手水屋の手水鉢が寂しそうに見えましたよ。
石田神社は、あまり広くありませんが、歴史的に興味深い神社です。
流れ橋を訪れた際は、ぜひ、石田神社にも足を延ばしてください。
なお、石田神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。