2月3日の節分の日に京都市左京区の聖護院と須賀神社に参拝した後、近くの積善院凖提堂(しゃくぜんいんじゅんていどう)にもお参りしました。
以前に積善院凖提堂にお参りをしたのは、随分と昔のこと。
せっかく近くに来たので、久しぶりに積善院凖提堂に立ち寄ることにしました。
積善院凖提堂の諸堂
積善院凖提堂は、京阪電車の神宮丸太町駅から北東に徒歩約7分の場所に建っています。
入り口には、自動車が数台停車しています。
積善院凖提堂では、毎年2月23日に五大力法要が行われ、盗難除けの御札や交通安全のお守りが授与されます。
山門をくぐると、その先に拝殿が建っています。
そして、拝殿の奥には本堂が建っています。
この日は、戸が開いていたので中に入ってお参りをすることに。
積善院凖提堂は、聖護院の塔頭で、明治時代の初めに積善院と凖提堂が合併し大正時代(1912-1926年)に当地に移ってきました。
本堂には、非公開の出世姫権現大弁才天女像の写真がかかっていました。
説明書によれば、山本坊明住が安永8年(1779年)に造らせたものとのこと。
始めは、錦小路岩上通に祀られていましたが、天明3年(1783年)に四条通新町西の炭座辻子に聖護院の末寺「才知院」を建立し、本尊として安置していました。
天明の大火(1788年)で堂宇が焼失し、本尊はいったん洛東の長泉寺へ入りましたが、その後、近衛通鴨川東堤に才知院が再建されます。
しかし、幕末に宝泉院に合祀された後、明治5年(1872年)の太政官布告・修験廃止令により廃寺となりました。
その後は、末裔の方が平成13年(2001年)まで護持していましたが、縁により積善院凖提堂に安置されることになりました。
また、2月23日には五大菩薩が開帳されます。
東、西、南、北、中央を守る五菩薩は、「国の王が仏教を護持するならば、その国を守る為に遣わされる菩薩である」と仁王経に説かれており、昔は、宮中で鎮護国家の大祈祷会が行われていたそうです。
それが、各家を守護する菩薩として広く民衆に信仰されるようになり、積善院凖提堂では毎年2月23日に五大力法要が行われ、家内安全、盗難除け、交通安全のお札やお守りを授与しています。
境内の北西には、たくさんのお地蔵さんがいらっしゃいます。
お地蔵さんたちの隣には小さな祠があり、さらにその隣には、人食い地蔵が祀られています。
人食い地蔵は、以前はお堂の中に安置されていたのですが、現在はお堂がなくなっています。
写真撮影が禁止だったため、写真は撮っていません。
境内には、五大力尊ののぼりがいくつも立っていました。
本堂の西側に建つのは、旧本堂の行者堂です。
以前は、重要文化財の不動明王が祀られていましたが、現在は役行者(えんのぎょうじゃ)を中心に智証大師、阿弥陀如来坐像など、積善院に伝わる諸仏と当院に預けられた客仏を祀り、位牌堂、護摩堂としての側面も持っているそうです。
中央の役行者像は、厨子内に那智の瀧、蔵王権現(ざおうごんげん)、不動明王などが配され、立体曼荼羅の様相を示しているのだとか。
境内のネコの置物
積善院凖提堂の境内には、ネコの置物がいくつか置かれています。
こちらは、気持ちよさそうに眠っているネコの置物。
丸まっているネコとタヌキ。
座っているネコもいました。
本堂にお参りを済ませ、境内も一通り見たことですし、そろそろ積善院凖提堂から出ることにしましょう。
この後は、上京区の廬山寺に節分会を見に行きました。
なお、積善院凖提堂の詳細については以下のページを参考にしてみてください。