春に拝観した醍醐寺三宝院・2018年

3月下旬に京都市伏見区の醍醐寺に桜を見に行った時、三宝院の庭園を拝観しました。

三宝院は以前にも拝観したことがあるのですが、その時は庭園の写真撮影が禁止されていました。

でも、最近になって三宝院の写真撮影が許可されたことから、私も三宝院拝観時に庭園の写真を撮りました。

今回は、その時に撮影した写真とともに醍醐寺の三宝院を紹介します。

豊臣秀吉が設計した三宝院庭園

醍醐寺の最寄り駅は、地下鉄醍醐駅です。

駅からは、東に徒歩約10分で、醍醐寺の総門前に到着します。

醍醐寺は、霊宝館、三宝院、伽藍の3ヶ所を拝観します。

拝観料は800円ですが、春季(3月20日から5月15日)と秋季(10月15日から12月10日)は1,500円です。

以前は、1ヶ所の拝観料が600円で、2ヶ所共通拝観券が1,000円、3ヶ所共通拝観券が1,500円でしたから、随分とお得になってますね。

三宝院は、永享3年(1115年)に醍醐寺第14世座主の勝覚僧正によって創建されたのが始まりです。

それ以来、醍醐寺座主の居住する本坊として、醍醐寺の中核を担ってきました。

ちなみに勝覚僧正は、三師に法を授けられたので三法院と号し、のちに三宝院と改めました。

醍醐寺は、応仁の乱(1567年)によって、五重塔を除くほとんどの伽藍を失い荒廃します。

その荒廃した醍醐寺の復興に尽力したのが、豊臣秀吉でした。

秀吉は、慶長3年(1598年)に醍醐の花見を開催します。

その時、秀吉は、750本もの桜の木を植え、また、紀州湯浅の万願寺本堂を金堂として移築します。

この醍醐の花見を契機に第80世座主の義演が醍醐寺の再興を志し、秀吉の援助を受けて金剛輪院を復興します。

この時に復興された金剛輪院を改名したのが、三宝院です。

また、醍醐寺の南側に広がる庭園は、秀吉自らが基本設計をしたもので、現在、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。

大玄関から三宝院の中に入り、順路に従って進むと表書院に到着します。

表書院の南西

表書院の南西

上の写真に写っているのは、表書院の南西角に設けられた泉殿です。

ここから東方向に三宝院の庭園を眺めることができます。

表書院の縁側には、勾欄がめぐらされており、その向こうに大きな池が見えます。

三宝院庭園

三宝院庭園

池には、鶴島と亀島があり、どちらにも立派な五葉松が植えられています。

池には、趣のある石橋が架かっています。

池と石橋

池と石橋

石組が多い庭園を見ると、戦国武将の力強さのようなものを感じますね。

下の写真の左側に見えるのが亀島で、その後ろに鶴島があります。

左に亀島、右に賀茂の三石

左に亀島、右に賀茂の三石

また、右側に目をやると、砂の上に石が3つ並んでいるのが見えます。

この3つの石は、賀茂の三石です。

一番奥に見える石は賀茂川の流れの速さを、真ん中の石は川の淀んだ状態を、そして、手前の石は川の水が割れて砕け散る様子を表現しているのだとか。

池のほとりの植木。

植木と石組

植木と石組

奥には大きな石が組まれた滝が見えます。

表書院東側から庭園を眺めます。

表書院東側から見た庭園

表書院東側から見た庭園

まだ若干冬の景色が残っていましたが、初夏や梅雨の時期は青々とした景色になるんでしょうね。

表書院の東側には、純浄観という建物があり、さらに奥に本堂が建っています。

そして、本堂の前には苔庭も配されています。

純浄観、本堂、苔庭は通常非公開ですが、私が三宝院を拝観した時は特別公開が行われていました。

ただ、拝観料が別料金だったため、今回はこれらの建造物を拝観しませんでした。

表書院の北側にやって来ました。

ここにも中庭があります。

中庭

中庭

廊下を歩きながら見る中庭。

廊下から見る中庭

廊下から見る中庭

三宝院の中は、参拝者がとても多かったのですが、この中庭は不思議と静かでしたよ。

今回は、春に三宝院を拝観しましたが、別の季節に訪れると、また違った趣の景色を見れそうです。

冬に雪が積もった三宝院庭園も見たいものですが、この辺りはあまり雪が降りそうにないので、なかなか雪景色を見ることはできそうにないですね。

なお、醍醐寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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