11月中旬に京都市北区の大徳寺を訪れた時、その塔頭(たっちゅう)の龍源院(りょうげんいん)に参拝しました。
大徳寺にある塔頭寺院は、通常非公開のところが多いのですが、龍源院は普段から拝観できます。
境内には4つの庭園があり、それらを鑑賞することが今回の参拝の目的であります。
阿吽の庭
大徳寺は、市バス停「大徳寺前」からすぐの場所にあります。
そして、龍源院は、大徳寺山内のやや東側に建っています。
表門をくぐり、右に向かうと庫裡(くり)があり、その玄関が拝観受付となっています。
拝観料は350円。
受付を済ませて最初に向かうのは書院です。
書院の南側に配されているのは阿吽の庭です。
正式には滹沱底(こだてい)と言います。
滹沱は、中国河北省鎮州城にある宗祖臨済禅師の住庵した寺の南に流れる川の名とのこと。
白砂が敷き詰められた石庭の東と西に基礎石が置かれており、対をなしていることから阿吽の石庭と呼ばれています。
西に置かれている基礎石が阿の基礎石で、中心がくぼんでいます。
一方、東に置かれた吽の基礎石は、中心が出っ張っています。
阿吽とは吸う息と吐く息のことで、天と地、陰と陽、男と女、電流の「+」と「-」、どのひとつも切り離せない宇宙の真理を表現しているのだとか。
なお、阿吽の基礎石は、豊臣秀吉が建てた聚楽第のものと伝えられています。
東滴壺
書院の次は方丈に向かいますが、その途中に庫裡と方丈に挟まれた場所に小さな石庭があります。
この石庭は、東滴壺(とうてきこ)と呼ばれる庭で、日本最少の石庭です。
庭の右側に平べったい板石が置かれており、それを中心にして波紋が広がっています。
一滴の水がしたたり落ちる姿を表現しているそうです。
一滴の水は小川となり、それが大河となってついには大海となる様に一滴の大切さ、一滴が大河につながっていることを教えてくれています。
北側に置かれた大きな石の周囲にも波紋がありますね。
小さな庭ですが、大切な教えがギュッと詰まっていますね。
一枝坦
それでは方丈にお参りをしましょう。
龍源院の方丈は、我が国最古の方丈様式の遺構を完全にとどめた唯一の方丈建築物だそうです。
方丈前庭は、一枝坦(いっしだん)と呼ばれています。
上の写真の手前のコケの部分が亀島、左奥に見える大きな石が蓬莱山、右奥の石が鶴島となっています。
蓬莱山は、仙人の住む不老長寿の吉祥の島のことです。
一枝坦は、龍源院開祖の東傒(とうけい)禅師が、釈尊の拈華微笑(ねんげみしょう)という因縁の則によって悟られ、その師の実伝和尚からいただいた室号の「霊元一枝之軒」より名付けられたそうです。
方丈の奥の檀那間(だんなのま)から一枝坦を眺めます。
かつては、樹齢700年以上のサザンカ「楊貴妃」が植わっていたのですが、昭和55年(1980年)に枯れてしまったとのこと。
龍吟庭
方丈の北側にやってきました。
こちらにも枯山水庭園がありますが、他と違って杉苔が敷かれています。
龍吟庭(りょうぎんてい)と呼ばれているこの庭は、須弥山(しゅみせん)式の枯山水で、大徳寺で最も古く、真の禅院庭園として有名です。
作庭したのは、相阿弥と伝わっています。
仏説では私たちの宇宙世界は9つの山と8の海からなると説かれており、その中心が須弥山なのだそうです。
高さも深さもはかり知れない須弥山は、誰もが本来具えている超絶対的な人格、悟りの極致であり、それを表現しているのが龍吟庭ということです。
龍吟庭の中央に置かれている石が須弥山石で、その手前にある板石は遥拝石といって、理想、目的に一歩でも前進し、近づこうという信心の現れなのだとか。
龍吟庭は、梅雨になると、コケが美しそうですね。
龍源院の庭園は、どれも禅寺らしく簡素です。
庭園を見て何を感じるかは人それぞれ。
訪れる人が少なく、静かに物思いにふけることができますよ。
なお、龍源院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。