慶応3年(1867年)11月15日。
この日は、坂本竜馬と中岡慎太郎が河原町の近江屋で命を落とした日です。
2人の遺体は東山の墓地に埋葬され、今は京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)の境内の一部となっています。
毎年2人の命日の11月15日には、京都霊山護国神社で龍馬祭が催されます。
2017年は、近江屋事件から150年目の年ということもあり、私も龍馬祭を見に行ってきました。
龍馬祭で賑わう境内
京都霊山護国神社は、京阪電車の祇園四条駅から東に15分ほど歩いた辺りに建っています。
高台寺の南側の道路が京都霊山護国神社の参道となっており、道路の真ん中には同社の石造りの鳥居が建っていますね。
少々息が切れる登り坂を歩き、京都霊山護国神社の境内へ。
境内は大勢の参拝者で賑わっていました。
普段は、こんなにお参りに来る人はいないのですが。
坂本竜馬と中岡慎太郎が今も人気だということがよくわかります。
本殿の前にやってきました。
左側には坂本竜馬の肖像画と酒樽。
右側には中岡慎太郎の肖像画と酒樽が奉納されていました。
それでは本殿にお参りをしましょう。
本殿には、坂本竜馬のイラストが展示されていましたよ。
こちらは、軍艦に乗る坂本竜馬の屏風です。
坂本竜馬と中岡慎太郎が刺客に襲われる少し前。
竜馬は、下僕に軍鶏(しゃも)を買ってくるように言いました。
2人は軍鶏鍋を食べるつもりだったのですが、下僕が軍鶏の買い出しに行っている間に刺客が近江屋を襲撃し、軍鶏鍋を食べることができませんでした。
龍馬祭当日は、高知県北川村、両援会、京都高知県人会により参拝者に軍鶏鍋が振る舞われました。
野菜たっぷりの軍鶏鍋を2人に代わって美味しくいただきましたよ。
お馴染みのポーズを決める坂本竜馬の像。
時刻が午後3時を過ぎたので、そろそろ墓地に向かいましょう。
墓前祭
京都霊山護国神社には、明治維新の実現に貢献した人々のお墓や慰霊碑がたくさんあります。
墓地に入るには入園料300円が必要です。
入り口では、坂本竜馬と中岡慎太郎の名刺のうち好きな方をいただけます。
坂本竜馬に人気が集中しているようだったので、私は中岡慎太郎の名刺をいただきましたよ。
墓地では午後3時30分から旧土佐藩招魂社祭が、そして、午後4時からは坂本竜馬と中岡慎太郎の墓前祭が行われます。
すでに2人の墓前には多くの参拝者が詰めかけていました。
200人くらいはいたでしょうか。
午後4時になり、墓前祭が始まりました。
人だらけで墓前の様子が全く見えなかったので、霊山に上って見下ろすことに。
墓前祭では、神職の方が坂本竜馬の功績を読み上げます。
遠かったので、はっきりとは聞き取れませんでしたが、勝海舟など馴染みの名が時折聞こえてきましたよ。
その後は、高知県知事や京都高知県人会の方などが、次々とお参りをします。
勝海舟の子孫の方も参列されてました。
墓前祭が終わると、2人のお墓の前に花や果物などがたくさん供えられていました。
もちろん、軍鶏鍋も。
2人の墓前からは、京都市街を一望できます。
眼下に八坂の塔が見えるこの景色は、ドラマや時代劇でよく目にしますね。
龍馬祭には、テレビ局のカメラもたくさん入っており、自宅に帰ってテレビをつけると、龍馬祭の様子が映されていました。
150年経っても、坂本竜馬と中岡慎太郎の人気は衰える気配がないですね。
なお、京都霊山護国神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。