京都市下京区の地下鉄四条駅から西に10分ほど歩くと、菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)という神社が建っています。
この菅大臣神社は、平安時代に菅原道真の邸宅であった白梅殿の跡地に建てられたものです。
社名や立地からもわかるように祭神として祀られているのは、学問の神様の菅原道真です。
菅原道真の邸宅は、白梅殿の他に紅梅殿もありました。
菅大臣神社の北に建つ紅梅殿
下の写真に写っているのは、菅大臣神社です。
菅大臣神社は、菅原道真の邸宅があったことから、彼の誕生の地と伝えられており、境内には、産湯の井戸が保存されています。
同様の井戸は、京都御苑の西に建つ菅原院天満宮神社にもありますね。
どちらで誕生したのかはわかりませんが、このような言い伝えが残っているということは、どちらも菅原道真と縁があるということでしょう。
菅大臣神社は、菅原道真が九州の大宰府に左遷させられるときに以下の歌を詠んだ飛梅伝説が伝えられている地です。
東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ
菅大臣神社は、白梅殿の跡地ですが、菅原道真のもうひとつの邸宅だった紅梅殿は、当社の北に残っています。
菅大臣神社の境内を北から出ると、仏光寺通を挟んだ向かいに「菅家邸址」の石柱が立っています。
この石柱が立つ細い道をまっすぐ進むと、その端に紅梅殿があります。
民家に挟まれるように建つ紅梅殿は、少し窮屈に見えますね。
鳥居の扁額には、紅梅殿と書かれています。
菅大臣神社は、菅原道真没後に創建されました。
その後、たびたび兵火に遭い、鎌倉時代に南北両社に分かれることになります。
南に建つ菅大臣神社は天神御所や白梅殿社と呼ばれ、また、北に建つ社は、北社や紅梅殿社と呼ばれていました。
菅大臣神社は、応仁の乱(1467年)の後、慶長19年(1614年)に菅家と縁のある曼殊院宮良恕法親王(まんしゅいんのみやりょうじゅほうしんのう)によって再興され、今日に至っています。
もともと菅原道真の邸宅は、仏光寺通を中心に南北2町、東西1町の規模を誇っていたのですが、北と南に分かれ、やがて、北の紅梅殿は現在のような寂しい姿になってしまったんですね。
なお、紅梅殿に祀られているのは、菅原道真の父の是善(これよし)です。
道真の父なのですから、もっと大きな社に祀っていても良さそうなのですが。
それでも、規模が小さいながらも、こうやって社殿が残っているのは良い方なのかもしれません。
歴史的に重要な場所であっても、小さな石碑が置かれているだけといったところは、京都市内にいくつもありますからね。
なお、菅大臣神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。