京都市左京区に建つ南禅寺は、春は桜、秋は紅葉を楽しむことができる観光名所として知られています。
境内に入るのに拝観料は必要なく、誰でもお参りすることが可能です。
ただ、境内を自由に散策できるといっても、三門に上ったり、本坊に入ったりする場合には、拝観料が必要となります。
今まで南禅寺には何度も訪れたことがあるのですが、本坊には入ったことがなかったので、紅葉狩りのついでに拝観することにしました。
方丈庭園
南禅寺は、地下鉄蹴上駅から5分ほど歩くと到着します。
本坊の入口は、総門をくぐって、まっすぐ奥まで進んだところにあります。
玄関で靴を脱ぎ、受付で拝観料500円を納めて、建物内へ。
順路に従って進み、最初に目にするのが方丈です。
南禅寺の創建は、鎌倉時代ですが、その後、3度の火災に遭い、伽藍は焼失しています。
現在残っている建物は、安土桃山時代以降に再建されたものです。
もちろん方丈も再建されたものです。
もともと方丈は豊臣秀吉が御所に寄進したものでしたが、慶長16年(1611年)に後陽成天皇から南禅寺に下賜されました。
建物内には、狩野永徳や探幽など狩野派の襖絵が展示されています。ただし、これらの襖絵は、複製されたものです。
方丈の前に広がる庭園は、禅寺らしい白砂と石組で造られた枯山水庭園です。
作庭されたのは江戸時代初期で、小堀遠州によるものと伝えられています。
庭園に配された巨石の姿から虎の児渡しの庭とも呼ばれています。
如心庭、蓬莱神仙庭、六道庭
方丈庭園を鑑賞した後は、建物の西側に進みます。
西側に造られた庭は、如心庭と呼ばれています。
その名のとおり、白砂の上に「心」の形に石が配されています。
説明書に「解脱した心の如く、落ち着いた雰囲気の禅式枯山水庭園」と書かれているように無駄がありません。
如心庭の北側に造られた小さな庭園は、蓬莱神仙庭です。
蓬莱は、中国にある仙人が住む霊山で不老不死の地と伝えられています。
神仙は、神通力を得た仙人を意味します。
この庭を眺めていると、仙人のように悟りを開くことができるかもしれませんね。
建物の北側にある庭園は六道庭です。
六道は、天界、人間界、修羅の世界、畜生界、餓鬼界、地獄界の6つの世界のことです。
仏教では、人間は、この6つの世界を生まれ変わり続けるとされています。
六道庭は、この六道輪廻(りんね)の戒めを表現したものだそうです。
鳴滝庭と中庭
六道庭の次は、建物の東側に移動。
移動する途中に鳴滝庭と呼ばれる白砂と苔と石組でできた庭園がありました。
特に説明書などはなく、どういった内容の庭かはわかりませんでした。
印象に残っているのは、下の写真に写っている硯のような大きな手水鉢です。
何か意味がありそうですが、不明です。
建物の一番東に配された中庭。
中庭を囲んでいるのは、南禅寺垣と呼ばれる竹垣です。
窮心亭と不識庵
中庭の北には、窮心亭と呼ばれる茶席があります。
建てられたのは、昭和43年(1968年)と比較的新しく、茶道宗徧流一門によって寄進されました。
ちなみに窮心亭という名は、修学院離宮にある窮心軒から付けられたものだそうです。
窮心亭のさらに北に建っているのが、茶席の不識庵(ふしきあん)です。
不識庵も窮心亭と同様に宗徧流一門によって寄進されたものですが、こちらは南禅寺の開基の亀山天皇650年御忌を記念して昭和29年に建てられました。
説明書によると、達磨大師が梁の武帝と対面した時、「私の前にいるのは誰か」と問われたところ、自分を説明しようとしても言葉では真の自分を表現できないということから「不識」と答えたとか。
これが不識庵の由来だそうです。
説明書は、さらに「本当の自分とは何なのかを知るためには、心を窮(きわ)めていかなければならない」と続いていました。
中庭に戻り、そこから南に進んで、本坊内では緑が多めの還源庭を見て、方丈庭園に帰ってきました。
南禅寺の本坊には、多くの庭園があるので、見ごたえがありましたよ。
なお、南禅寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。