京都は、東西南北を霊獣に守られた四神相応の地という理由から都が置かれました。
この中で、北を守るのは、カメとヘビが合体したような姿をしている玄武で、京都市北区の船岡山がそれに該当します。
しかし、船岡山は、都を守っているにも関わらず、心霊スポットとされています。
一体、なぜ船岡山は心霊スポットとなったのでしょうか。
保元の乱の処刑場
まず考えられるのが、船岡山が平安時代後期の保元の乱後の処刑場となったことです。
保元の乱は、後白河天皇と崇徳上皇が争った戦いで、勝利したのは後白河天皇でした。
後白河天皇に味方した源義朝は、父の為義や兄弟たちと敵味方となって戦いました。
戦いに負けた為義たちは、後に捕えられ、船岡山で処刑されます。
その時、処刑したのが義朝でした。
実の子に処刑された為義の怨霊が、今も船岡山周辺をさまよっているかもしれません。
応仁の乱の戦場
さらに船岡山周辺は、室町時代の応仁の乱の戦場となった場所でもあります。
この辺りは、西軍の山名宗全の陣があったことから西陣と呼ばれています。
船岡山は、足利義澄(あしかがよしずみ)側の細川澄元(ほそかわすみもと)と足利義稙(あしかがよしたね)側の大内義興(おおうちよしおき)、細川高国との戦場となりました。
この戦いで戦死した人たちは、船岡山に積み上げられていたとか。
また、船岡山の西には、京都の3大葬送地のひとつである蓮台野(れんだいの)がありました。
蓮台野では、風葬が行われていました。早い話が、死体を野ざらしにしていたということです。
処刑場、戦死者が積み上げられた、風葬の地。
これらの条件がそろったら、船岡山が心霊スポットと噂されても不思議ではないですね。
船岡山に建つ建勲神社
船岡山に近づく際は、怨霊に祟られないように神社に参拝しておきたいところです。
ちょうど船岡山には、織田信長を祀っている建勲神社(たけいさおじんじゃ)が建っているので、ここでお参りをしておくと良さそうです。
でも、織田信長自身が京都で明智光秀の裏切りに遭い亡くなっているので、どうかとも思うのですが、こうやって神社に祀られているのですから、怨霊から守ってくれると期待しましょう。
歴史的に見ると、船岡山周辺は、死体がゴロゴロとしていた場所なので、心霊スポットと恐れられるのもよくわかりますが、現在は住宅がたくさん建ち並んでいる場所なので、怖がることはありませんよ。
なお、建勲神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。