京都市南区の東寺の北側に観智院というお寺が建っています。
普段は、門が閉じられていて中に入ることができませんが、2012年の「京の冬の旅」で特別公開されることとなったため、訪れてきました。
あまり有名なお寺ではないのですが、なかなか興味深いものを拝観することができたので、今回の記事では、その内容をお伝えします。
空海が唐から日本に帰国する様子を表現した五大の庭
観智院は、東寺のすぐ北に建っています。
普段、閉ざされている門が全開。
観智院は、徳治3年(1308年)に後宇多天皇が東寺西院に3年間参籠し、21院を建立したうちのひとつです。
門をくぐり、玄関から建物の中に入ります。
拝観料は600円。
順路にしたがって客殿に進むと、目の前に五大の庭があります。
ガイドの方の話によると、五大の庭は、弘法大師空海が唐に渡り密教を受法し、その帰りの海上で難にあった時の様子を表現したものだそうです。
庭の左には日本を現す築山があります。
築山の5つの石は、五大虚空蔵菩薩を表現しているとのこと。
一方、庭の右にある築山は唐(中国)を表現しています
そして、両者の間に砂が敷き詰められた東シナ海があります。
砂の上には、様々な石組が配置されています。
中央に置かれている石は、空海が乗った船を表現しています。
空海は、難を免れるために法具を海に投げて祈ったそうです。
下の写真に写っているのが、その法具を表現した石です。
空海が祈ると海から龍神や神亀、シャチが現れて、難を逃れることができ、無事に日本に帰国したそうです。
下の写真は龍神を表現した石組です。
他にも神亀、シャチ、鳥を表現した石も置かれていました。
宮本武蔵が描いた鷲の図
五大の庭を鑑賞した後は、建物内を拝観しました。
客殿には、鷲の図と竹林の図があります。
この2つの絵は、剣豪宮本武蔵が描いたものです。
武蔵は、一乗寺下り松で吉岡一門と決闘をした後、身を隠すために観智院で過ごしました。
これらの絵は、その時に描かれたものだそうです。
抜群のセキュリティ
また、客殿はその建築技法も特徴的です。
客殿は書院造で、慶長10年(1605年)に建てられました。
書院造の建物は、襖や障子の大きさが同じなのに観智院の客殿のそれらはバラバラになっています。
ガイドの方の話によると、書院造が確立された頃だったので、このような統一感のない大きさになったそうです。
他に廊下が歩くと「キュッキュッ」となる鴬(うぐいす)張りになっていたり、縁側の板と板の間に大きな隙間があったりするのも観智院の客殿の特徴だそうです。
これらは、防犯のための仕掛けです。
廊下を歩くと音がするのは夜中に侵入してきた者を察知するためで、縁側の板の間に隙間があるのはその下に隠れることができないようにするためです。
さらに他の部屋では、天井が紙になっていて、屋根から侵入してくると破れるようになっていたりします。
これらの仕掛けは、なかなか興味深かったですね。
五大虚空蔵菩薩像と愛染明王像
客殿の次は本堂へ。
本堂には、五大虚空蔵菩薩像と愛染明王像(あいぜんみょうおうぞう)が祀られています。
五大虚空蔵菩薩像は、横に5体並んでいます。
広大無辺の知恵を無尽に蔵しているとのこと。
愛染明王像は、縁結び、開運、子宝のご利益を授けてくれるそうです。
これらの他にも観智院では、昭和の画家である浜田泰介の四季の図や茶室も拝観することができました。
なお、観智院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。