江戸時代には、京都にたくさんの大名の屋敷が置かれました。
幕末に活躍した長州藩、土佐藩、薩摩藩はもちろんのこと、あまり聞いたことがない藩の屋敷もありました。
そんな聞いたことがない藩の典型とも言える丹波亀山藩の京屋敷跡が、地下鉄四条駅と五条駅の間の中野之町(なかののちょう)にありました。
江戸時代中期から丹波亀山藩の京屋敷に
中野之町の丹波亀山藩の京屋敷跡は、江戸時代前期には、広島藩の藩邸でした。
その後、18世紀前期に丹波篠山藩(たんばささやまはん)の藩邸となります。
この時の篠山藩の藩主は、松平信岑(まつだいらのぶみね)で、後に丹波亀山藩に転封となりました。
つまり、この地が丹波亀山藩の京屋敷となったのは、信岑が亀山藩の藩主となった寛延元年(1748年)からということになります。
信岑が亀山藩主となって以降、歴代藩主は、京都火消役となり、京都を監視する役目を果たしていきます。
その後、幕府が倒れて明治政府が誕生すると、亀山藩は京都市中取締を勤めました。
また、亀山は明治時代に亀岡と改められています。現在の京都府亀岡市ですね。
鎮守社のお稲荷さん
現在、丹波亀山藩の京屋敷跡には、小さなお稲荷さんが建っています。
入り口には、丹波国亀山藩京屋敷跡を示す石柱があり、その奥には朱色の鳥居が何本も並んでいます。
伏見稲荷大社の千本鳥居を小規模にしたような感じです。
この小さなお稲荷さんは、亀山稲荷神社といいます。
亀山稲荷神社は、亀山藩の鎮守社として、白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)と花月大明神(かげつだいみょうじん)を祭神として祀っていたそうです。
その後、明治時代になって中野之町が奉仕するようになったとか。
朱色の鳥居のトンネルを進んでいくと、小さな社殿が現れます。
昔は、白瀧大明神と花月大明神の両祠があったそうですが、現在では1つだけとなっています。
お稲荷さんは、商売繁盛のご利益があることで有名です。
そして、亀山稲荷神社が建つ辺りには、京都のビジネス街として有名な四条烏丸があります。
ビジネス街の近くに建つお稲荷さんなら、十分に商売繁盛のご利益を授かることができそうですね。
しっかりとお参りしておきましょう。
なお、江戸時代の京都の藩邸跡については、以前に薩摩藩、長州藩、福井藩、加賀藩を紹介しています。興味がある方は、以下の過去記事をご覧になってください。