宇治十帖の史跡を訪ねる

平安時代に紫式部が書いた源氏物語は、全部で54帖あります。

その後半10帖は、今の京都府宇治市を主要な舞台としていることから宇治十帖と呼ばれています。

源氏物語は、フィクションなので、その史跡が存在するということはありません。

しかし、いつの頃か、源氏物語のファンによって、源氏物語の史跡が造られてきました。

もちろん宇治十帖の史跡も存在します。

宇治十帖の地図

宇治市に行くと、いたるところに宇治十帖の史跡をしめす地図が置かれています。

宇治十帖の地図

宇治十帖の地図

実際に宇治十帖の史跡を散策する際は、この地図を写真に収めておくと便利です。

ちなみに上の地図は、宇治神社の近くに設置されていたものです。

それでは、宇治十帖の史跡をひとつずつ見ていきましょう。

1.橋姫

まず最初は、宇治橋の西にある橋姫(はしひめ)です。宇治十帖の始まりが、この橋姫です。

橋姫の史跡は、橋姫神社の境内にあります。

橋姫

橋姫

宇治十帖の史跡は、橋姫に限らず、それぞれに宇治市文化財愛護協会の解説が添えられています。

この記事では、それを参考に簡単に紹介していきます。

光源氏の異母弟の八宮(はちのみや)は、北方(きたのかた)亡き後、失意の中、宇治で2人の姫君を育てていました。

世の無常を感じていた薫君(かおるのきみ)は、八宮を慕って、3年間仏道修行に励んでいました。

晩秋の月の夜。

薫君は、姫君たちの美しい姿を見て、以下の歌を詠んで、大君(おおいきみ)に贈りました。

橋姫の 心をくみて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞぬれぬる

八宮は、薫君を信じ姫君たちの将来を頼みます。

その後、薫君は、光源氏の実の子でないことを知ることになります。

2.椎本

2つ目は、椎本(しいがもと)です。

椎本は、宇治橋の南東にあります。

椎本

椎本

春。

匂宮(におうのみや)が、宇治の夕霧(ゆうぎり)の山荘に立ち寄り、迎えの薫君やその供と一緒に音楽に興じました。

その音は、対岸の八宮の邸にも届き、宮は都にいた頃を偲んでいました。

死期の近いことをわかっている八宮は、薫君に姫君を託し、秋の深い頃に亡くなります。

たちよらむ 蔭と頼みし 椎が本 むなしき床に なりにけるかな

3.総角

3つ目の総角(あげまき)は、源氏物語ミュージアムの近くにあります。

総角

総角

八宮の一周忌。

薫君は、大君への思いを歌にして詠みました。

総角に 長きちぎりを 結びこめ おなじ所に よりもあはなむ

大君は、父宮の教えに従い、宇治の山住みで果てる意思がかたく、妹の中君(なかのきみ)を薫君に委ねたいと思っていました。

一方の薫君は、中君と匂宮が結ばれることで、大君の心を得ようと考えていました。

その後、匂宮と中君は結ばれましたが、大君は、薫君の看護のもと11月に亡くなりました。

4.早蕨

4つ目の早蕨(さわらび)は、総角の東の宇治神社近くにあります。

早蕨

早蕨

年が改まり、宇治の山荘にも春が訪れました。

今年も山の阿闍利(あざり)からわらびやつくしが贈られてきました。

中君は、亡き父や姉を思い、以下の返歌を詠みます。

この春は たれにか見せむ 亡き人の かたみにつめる 峰の早蕨

2月上旬。

中君は、匂宮の二条院に迎えられます。

夕霧は、娘の六君(ろくのきみ)を匂宮にと思っていたことから、失望します。

そこで、我が娘を薫君にと内意を伝えましたが、大君を忘れられない薫君は穏やかに辞退しました。

花の頃。

宇治を思いやる薫君は、二条院に中君を訪ねて物語などをします。

匂宮は、2人の仲を疑い始めます。

5.宿木

5つ目の宿木(やどりぎ)は、平等院から南に数分歩いた辺りにあります。

宿木

宿木

薫君は、いつしか中君に思いを寄せるようになります。

しかし、中君は、それをうとましく感じるようになります。

中君は、二条院に訪れた薫君に異母妹の浮舟が大君に似ていると告げます。

秋。

薫君は、宇治の山荘を御堂にするために弁尼(べんのあま)を訪れます。

そして、ともに大君を偲んで、以下の歌を口ずさみました。

宿りきと 思い出でずば 木(こ)のもとの 旅寝もいかに 寂しからまし

中君は、男子を出産し、薫宮も心進まぬまま女二宮(おんなにのみや)と結婚しました。

その後、宇治を訪れた薫宮は、偶然、浮舟を見、大君と瓜二つなのに驚き、心を引かれていきました。

6.東屋

6つ目の東屋(あずまや)は、椎本の西にあります。

東屋

東屋

晩秋。

宇治を訪れた薫君は、弁尼から浮舟の所在を聞き、訪ねていきます。

さしとむる むぐうやしげき 東屋の あまり程ふる 雨(あま)そそぎかな

翌朝、薫君は浮舟を連れて宇治へと向かいました。

7.浮舟

7つ目の浮舟は、三室戸寺の境内にあります。他の9つは無料で見ることができるのですが、浮舟だけは拝観料500円が必要となります。

浮舟

浮舟

薫君は、浮舟を宇治の山荘に置いたまま、訪れる機会が減っていきました。

一方、匂宮は、二条院で見た浮舟のことを忘れることができません。

匂宮は、薫君を装い、宇治の浮舟の元に訪れます。

2人が結ばれた後、浮舟は人違いだったことに気付きました。

2月になり、薫君は浮舟を京の都に迎える約束をします。

これに焦った匂宮は、浮舟のもとに訪れ、2日間を共に過ごしました。

薫君が浮舟を都に迎える準備を進める中、匂宮は、その前に浮舟を引き取ろうと考えます。

ある日、両方の使者が宇治で鉢合わせしたことで、このことが薫君に知れました。

どうすることもできなくなった浮舟は、遂に死を決意します。

8.蜻蛉

8つ目の蜻蛉(かげろう)は源氏物語ミュージアムの東にあります。

蜻蛉

蜻蛉

宇治の山荘では、浮舟の疾走に大騒ぎとなりました。

事情をよく知る女房たちは、浮舟が入水したと推察し、母を説得して、遺骸のないまま葬儀を行いました。

薫君と匂宮は途方にくれます。

都では、華やかな日々を送っている薫君でしたが、大君と浮舟のことを思い続けて、気持ちは沈んだままでした。

ある秋の夕暮れ。

陽炎が飛ぶのを見て、薫君は以下の歌を口ずさみます。

ありと見て 手には取られず 見れば又 ゆくへも知らず 消へし蜻蛉

9.手習

9つ目の手習(てならひ)は、京阪三室戸駅近くにあります。

手習

手習

ある日、比叡山の僧が初瀬詣での帰りに母が急病で倒れ、介護のために宇治にやってきました。

その夜、宇治院の裏手で気を失っている女性を発見しました。

女性は浮舟でした。

僧の妹尼は、娘の再来かと手厚く介抱し、洛北小野に連れて帰りました。

意識を取り戻した浮舟はただ死にたいと泣くばかりで、素性を明かそうとしません。

やがて秋となり浮舟は手習を始めました。

そして、浮舟は、尼達が初瀬詣での間に立ち寄った僧に懇願して出家してしまいました。

そのことは、やがて薫君の耳にも届くことになりました。

10.夢の浮橋

最後の夢の浮橋は、宇治橋にあります。

夢の浮橋

夢の浮橋

小野にいるのが浮舟であることを知った薫君は、僧に案内を頼みました。

しかし、僧は、浮舟が今は出家の身となっていることから、その頼みを受け入れません。

ただ、薫君が道心厚い人柄であることから、浮舟に消息を書きました。

また、薫君は、浮舟の弟の小君(こぎみ)に文を持たせました。

浮舟は、やってきた小君を覗き見て懐かしく思いましたが、会うことも薫君の文を受け取ることもしません。

小君は、浮舟を恨み都に帰ってきました。

薫君は、かつての自分と同じように、誰かがあそこで浮舟をかくまっているのではないかと疑っていたということです。

以上、写真と簡単な説明で宇治十帖の史跡を紹介しました。

効率よく10ヶ所全てを観るなら、順番を無視して、自分が今いる場所から近いところを先に廻った方がいいですね。

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