都の北を守護する船岡山と玄武神社

京都に都がおかれたのは、この地が四神相応の地だったからと伝えられています。

四神とは、四方を守る神のことで、北の玄武、南の朱雀、東の青龍、西の白虎をいいます。

そして、四神相応の地とは、北に山、南に湖、東に川、西に道がある地形を意味します。

これを京都に当てはめると、北に船岡山、南に巨椋池(おぐらいけ)、東に鴨川、西に山陰道があり、正に四神相応の地と呼べる地形だったのです。

今回の記事では、北の船岡山とその東にある玄武神社を紹介します。

標高112メートルの小高い丘

船岡山は、京都市北区にある山で、その標高は112メートル。

山というよりも丘といった感じの高さですね。

平安時代には、船岡山の南に大極殿が建てられ、そこから南に向かって朱雀大路が通っていました。

ちなみに朱雀大路は、現在の千本通と一致します。

船岡山の山頂に登っていくと、石で円く囲まれた三等三角点があります。

三等三角点

三等三角点

三角点は、地球上の正確な位置を示し、地図の作成時、道路や橋の建設時の測量の基礎となります。

船岡山に三角点が設置されたのは、明治36年(1903年)だそうです。

船岡山は、先にも述べましたが、丘のような低い山です。

しかし、山頂は、京都市街を見渡すのに十分な高さがありますね。

船岡山からの眺め

船岡山からの眺め

私が船岡山に登ったのは、京都に雪が降った翌日だったので、どの建物の屋根にも雪が積もっていました。

雪が積もる屋根

雪が積もる屋根

なお、船岡山には織田信長を祀っている建勲神社(たけいさおじんじゃ)が建っており、そこからは大文字山を眺めることができますよ。

玄武と紅白の末社

船岡山から500メートルほど東に行くと玄武神社が建っています。

その背後には、大きなマンションがあります。

玄武神社

玄武神社

玄武神社の創建は、元慶年間(877-885年)のことで、惟喬親王(これたかしんのう)寵愛の剣を祀ったのが始まりと伝えられています。

社名は、都の北の守護神である玄武から名づけられたものです。

玄武神社の本殿と拝殿の間には、玄武の石像が置かれています。

玄武

玄武

亀に蛇がからみついた姿をしていますね。

亀は長寿、蛇は商売繁盛のご利益があるとされていますので、縁起の良い姿なのでしょう。

玄武神社の境内は、それほど広くないのですが、末社が2つ建っています。

ひとつは白色の三輪明神です。

三輪明神

三輪明神

三輪明神の社殿に「三輪明神と玄武やすらい祭」の解説が書かれた紙が貼ってありました。

やすらい祭は、毎年4月に行われる悪霊や疫神を鎮める祭礼とのこと。

今から千年以上前、都で疫病が流行した際に大和国の大神神社(おおみわじんじゃ)の鎮花祭を玄武神社で行うようにという勅令を受けて、分霊を当地に祀ったそうです。

これがどうやら三輪明神の始まりみたいですね。

もうひとつの末社は、三輪明神の隣に建つ赤色の玄武稲荷大神です。

玄武稲荷大神

玄武稲荷大神

お稲荷さんということは、商売繁盛のご利益があるのでしょう。

紅白2つの末社が隣り合って建っているのは、なかなか興味深いですね。

なお、玄武神社の詳細については以下のページをご覧になってください。

宿泊

コメント

  1. rikidrian より: