京都市東山区の智積院と妙法院の間にある女坂を5分ほど歩いて上ったあたりに新日吉神宮という神社が建っています。
「新日吉」と書いて「いまひえ」と読みます。
今回の記事では、この少し変わった読み方の新日吉神宮を紹介したいと思います。
本殿前の猿神は日吉大神の使者
新日吉神宮の敷地に入って最初に目にするのが下の写真の楼門です。
鮮やかな朱色で、なかなか立派な楼門です。
新日吉神宮は、永暦元年(1160年)に後白河上皇が、その御所の法住寺殿内に山王七社の神々を祀ったのが始まりです。
この付近は、三十三間堂や法住寺など後白河法皇ゆかりの史跡が多いのですが、新日吉神宮もそのひとつですね。
楼門をくぐって境内に入り、舞殿の後ろの石段を上ったところに本殿が建っています。
本殿に祀られている神様は、酒造、医薬、縁結びの神様として信仰を集めています。
本殿の前の左右には、2体の猿の像が置かれています。狛犬ならぬ狛猿でしょうか。
この狛猿は、猿神といい、日吉大神の使者とされています。
猿神は、信者の災禍を去るという不思議な働きをし、常に御幣を捧げて悪気を祓い、災厄を退けて幸福を授けてくれるそうです。
金網に囲まれているのは、やはり、いたずらをする人がいるからなのでしょうか。
そう言えば、京都御所の猿ヶ辻の猿も金網の中に入れられていますね。
新日吉神宮の摂社末社
新日吉神宮の境内には、いくつか摂社末社が建っています。
ここでは、そのうちの2つを紹介したいと思います。
豊国神社
豊国神社は、本殿の右側に建っています。
豊国神社は樹下社とも呼ばれています。
豊臣家が滅び、徳川家の時代になっても当社の神官が密かに秀吉を祀ったものとされています。
社名の樹下は、秀吉の以前の名である木下藤吉郎の木下を意味したものと考えられますね。
飛梅天満宮
本殿の左側には飛梅天満宮が建っています。
社名が天満宮となっているので、もちろん菅原道真を祀っています。
創建したのは後白河上皇です。
その昔、菅原道真が太宰府に流された際、京都の旧宅に植えられていた梅が配流先に飛んでいったという故事から飛梅天満宮というそうです。
ちなみに下京区の菅大臣神社は、菅原道真の旧宅があった場所とされています。
摂社や末社にお参りした後、本殿の後ろに行くと下の写真に写っているスダジイという木が植えられれていました。
このスダジイは、江戸時代から植えられていたそうで、幹周は4メートルもあります。
高さもかなりのもので、後ろから本殿を飲みこんでしまいそうな感じです。
新日吉神宮に訪れる機会がありましたら、ぜひ、本殿後ろのスダジイもご覧になってください。
なお、新日吉神宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。