京都市左京区に八瀬というところがあります。
叡山電車の八瀬比叡山口で降りると八瀬なのですが、そこは山に囲まれた自然溢れる地域です。
この地域を八瀬と呼ぶようになったのには、諸説あるそうですが、そのうちの一つの説を知ることができるのが、バス停ふるさと前の近くに建つ宿の八瀬かまぶろふるさとです。
大海人皇子が傷を癒したかまぶろ
八瀬かまぶろふるさとには、大きなかまぶろが置いてあります。
八瀬は、昔から湯治場だったのですが、江戸時代に入るとその存在が広く知られるようになりました。
上の写真のかまぶろは、明治28年(1895年)の内国勧業博覧会を記念して造られた可能性が高いと言われていますが、八瀬が昔から湯治場として知られていたことを伺わせます。
八瀬が湯治場として歴史に登場するのは相当古く、壬申の乱(672年)にまで遡ります。
壬申の乱は、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と天皇の子の大友皇子が皇位を争った戦いです。
最終的に乱に勝利したのは、大海人皇子で、後に天武天皇となるのですが、この乱の際に彼は、この地で背中に矢を受けてしまいます。
そして、その矢の傷をかまぶろに入って治したことから、矢背という地名が付いたと伝えられています。
その後、矢背が八瀬に代わって現在の地名となっています。
八瀬天満宮社にある皇后陛下の歌碑
私が、以前に八瀬に訪れたのは、大原からの帰りでした。
大原からバスに乗って八瀬比叡山口駅まで行くのが通常なのですが、私は、かまぶろに訪れるために大原から歩いて帰ることにしました。
帰り道には、歩道がほとんどなく大型トラックがスピードを出して走っているので、大原から八瀬比叡山口まで行くのはやめた方がいいですね。
猛スピードで追い越して行くトラックに何度も恐怖を感じました。
そんな恐怖に耐えて、かまぶろに辿り着いたのですが、その近くには八瀬天満宮社という神社も建っていたので、参拝することに。
境内で、地元の方に「ここは、のどかな所でいいでしょう」と声をかけられましたが、その言葉のとおり、山に囲まれた閑静なところで、都会の喧騒を忘れさせてくれますね。
鳥居をくぐって左手に皇后陛下の歌碑が置かれています。
歌碑には以下の御歌が刻まれています。
大君の 御幸(みゆき)祝ふと 八瀬童子 踊りくれたり 月若き夜に
この御歌は、平成16年(2004年)8月21日に天皇皇后両陛下が、八瀬の人々による赦免地踊りをご覧になった三日月の夜にお詠みになったものとか。
赦免地踊りは、毎年10月10日の夜に八瀬天満宮社の境内にある秋元神社で催される行事です。
昔、後醍醐天皇が比叡山に忍ぶ際に、八瀬童子が駕輿丁(がよちょう=かごを担ぐ人のこと)の役を果たしたことにより、この地の租税を赦免された事に感謝して行われたのが始まりです。
両陛下の前で赦免地踊りを披露したことは、EXILEが天皇陛下の前でダンスを披露したのと同じくらい名誉なことですね。
観光で大原を訪れる際は、八瀬にも足を運んでみるのもいいですね。
なお、八瀬天満宮社の詳細については、以下のページを参考にしてみてください。