京都市上京区に千本釈迦堂の通称で親しまれる大報恩寺があります。
その大報恩寺には、落ち着きのある桧皮葺の本堂が建っているのですが、この本堂の建設については、大工の妻の内助の功が今も語り継がれています。
誤って柱を短く切ってしまった大工を助けた一言
大報恩寺の本堂は、安貞元年(1227年)に完成しましたが、その建設にあたったのは、長井飛騨守高次でした。
高次は、名工として知られていましたが、本堂の建設の際、彼らしくない過ちを犯してしまいます。
なんと四天柱のうち1本を他よりも短く切ってしまったのです。
一度切ってしまった柱を元の長さに戻すことはできないため、高次は大変悩みました。
悩んでいる高次を見て、妻の阿亀(おかめ)は、なんとか夫を助けられないかと思います。
そして、彼女は、何気なく斗栱(ときょう)という言葉を口にしました。
斗栱とは、簡単に説明すると「斗(ます)」と「肘木」を組み合わせた軒の荷重を支えるためのものです。
高次は、阿亀が何気なく口にした「斗栱」という言葉にピンと来て、他の三本の柱も短く切り落とします。
そして、短くなった柱の長さを補うために立派な組物を柱の先に繋いで、見事に本堂の骨組みを完成させたのでした。
おかめ塚と阿亀桜
そして、本堂も完成し、いよいよ上棟式の前日。
なんと阿亀が自害してしまったのです。
彼女は、自分の入れ知恵によって高次が本堂を完成させたということが、他人に知れると高次の名に傷が付くと考え、秘密が漏れないように自ら命を断ったのでした。
妻の気持ちを知った高次は、上棟式で御幣の先に阿亀の面を飾り、冥福を祈ったと伝えられています。
阿亀の内助の功を知った人々は、彼女の菩提を弔うために宝篋院塔を建立し、それは「おかめ塚」と呼ばれるようになりました。
おかめ塚の隣には、阿亀の像も置かれています。
また、本堂の手前には、立派な枝垂れ桜が植えられていますが、この枝垂れ桜は「阿亀桜」と呼ばれています。
私が、大報恩寺に訪れた時は、桜の季節ではなかったので、花は咲いていませんでしたが、春になるとたくさんの花が咲くようです。
「私のひとりごと」さんの千本釈迦堂のおかめ桜の記事で、満開の阿亀桜の写真が掲載されています。桜の季節でも、訪れる人が少ないようで、桜の穴場的スポットのようですね。
火災で焼失しなかった本堂
現在の本堂は、なんと建立当時のまま残っているものです。
大報恩寺も他の神社やお寺と同じように応仁の乱(1467年)によって諸堂が焼失したのですが、本堂だけは奇跡的に火災を免れました。
まるで阿亀が夫の高次が建てた本堂を守っているようですね。
なお、大報恩寺の本堂は、京都市内に残る最古の建築物として、国宝に指定されています。
大報恩寺の詳細については、以下のページを参考にしてみてください。