平安時代後期、平家が権勢を誇っていた頃、夜な夜な五条の橋に体格の良い荒法師が出没していました。
その荒法師の名は武蔵坊弁慶。
1000本の刀まで残り1本
弁慶は、五条の橋で毎晩、平家の武者を待ち構えていました。
その目的は、平家の武者から1000本の刀を奪うこと。
毎晩、奪いに奪って、刀はとうとう999本となりました。
そして、残り1本の刀を奪うために、いつものように五条の橋で平家の武者を待つことに。
この頃になると、都の人々もさすがに夜は五条の橋には近づかなくなっていました。
どれくらいの時間、五条の橋で待っていただろうか?
橋の向こう側から一人で渡ろうとする者が現れます。
その者の名は牛若丸。後の源義経です。
かねてより、弁慶の噂を聞いていた牛若丸は、その目で弁慶を見ようとこの夜に五条の橋にやってきたのです。
ひらりと飛ぶ牛若丸
弁慶は、牛若丸に荒々しい声で刀を渡すように言います。
ところが、牛若丸は刀を渡さず、「奪えるものなら奪ってみよ」と弁慶に向かって言います。
そして、弁慶が力ずくで奪うために長刀を一閃。
しかし、牛若丸がひらりと飛びよけ、長刀は空を切ります。
弁慶は何度も長刀を振るいますが、そのたびに牛若丸はひらりと飛びよけます。
遂に疲れ果てた弁慶の脛を牛若丸が攻撃。
これには、さすがの弁慶も堪らず、とうとう降参します。
そして、これより後、弁慶は牛若丸の家来となりました。
その時の二人の闘いを形にした牛若丸と弁慶の像が、五条大橋の西側に立っています。
以前は、五条通の中央に立っていたのですが、現在は歩道近くの空き地に移されています。
「おふとん屋さんの裏ばなし」さんの五条大橋・義経と弁慶の出会いという記事の写真をご覧になっていただくと五条通の中央に牛若丸と弁慶の像が立っていたのがわかります。
牛若丸と弁慶は五条大橋では出会っていなかった
現在の五条大橋は、京阪清水五条駅近くの鴨川に架かっています。
今では、国道1号線が通っています。幅もかなり広い橋ですね。
この五条大橋の欄干から欄干に牛若丸が飛び回ったとすれば、相当な瞬発力です。とても人間業とは思えません。
実は、現在の五条大橋は、牛若丸と弁慶が出会った橋ではありません。
そして、現在の五条通も平安時代には、六条坊門小路と呼ばれていました。現在の五条大橋は、安土桃山時代に豊臣秀吉が京都改造の際に架けたものが起源となっています。
では、牛若丸と弁慶が出会った五条の橋とは、どの橋を指しているのでしょうか?
それは、五条大橋よりも1本北に架かっている松原橋です。
松原橋は、五条大橋よりも幅がかなり狭く、車1台分程度しかありません。
これくらいの幅なら、橋の欄干から欄干に飛び移れるかもしれませんね。しかし、それでも相当な瞬発力が必要となりますが。
2012年10月1日追記
牛若丸と弁慶の像は、五条通中央に戻っています。写真は以下の記事をご覧ください。