勝負運一覧

応神天皇を祀る石清水八幡宮に勝運を祈願

京都府八幡市に建つ石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の歴史は古く、平安時代前期の貞観元年(859年)に創建されました。 石清水八幡宮の創建理由は、南都大安寺の行教が、九州の宇佐八幡にひと夏参籠して、八幡神より都の近くに移坐して国家鎮護にあたらせるようにという神託を受けたこととされています。 祭神として祀られているのは、応神天皇、神功皇后(じんぐうこうごう)、比売大神(ひめおおかみ)です。 八幡宮というと、八幡神が祀られているわけですが、実は、八幡神というのは応神天皇のことなのです。

2月中旬まで行われる京都十六社朱印めぐり

毎年1月から2月中旬まで、京都の16の神社で、「京都十六社朱印めぐり」が行われています。 16の神社のどこかにお参りに行けば、案内が置いてあるので、それを読むと内容がわかるのですが、ちょっとだけ説明しておきます。 京都十六社めぐりは、16の神社にお参りをして朱印帳に16ヶ所全部の朱印を押してもらうと、その年の干支の置物を授かれるというものです。 朱印帳は各神社で無料でいただくことができ、朱印は1ヶ所300円となっています。 今回の記事では、16社を地域別に簡単に紹介します。

京の七福神めぐりと京洛七福神めぐり

京都には、様々な七福神めぐりがあります。 七福神めぐりは、7つのお寺や神社にお参りするもので、それぞれの七福神めぐりによって参拝するお寺や神社が異なっています。 ところが、京の七福神めぐりと京洛七福神めぐりは、参拝するお寺や神社がほとんど一緒で、異なっているのは1ヶ所だけです。 京洛七福神めぐりは以前に行われていたものだそうですが、京の七福神めぐりは七福神組織はないもののご朱印をいただくことはできます。 そこで、今回の記事では、京の七福神めぐりと京洛七福神めぐりの各寺社を紹介します。

藤森神社に初詣・2012年

正月の三箇日を過ぎてから、京都市伏見区の藤森神社(ふじのもりじんじゃ)に初詣に行ってきました。 藤森神社は、競馬ファンの間では有名な馬の神様です。 最寄駅は、京阪電車の墨染駅で、北に5分ほど歩くと到着します。

勝負運(勝運)を授けてくれる5つの神社

スポーツなどの大会に出場する場合、参加するからには結果を出したいと思いますよね。 日々の努力が結果につながるというのは当然のことですが、精神的にリラックスすることも大切なことではないでしょうか。 気持ちを落ち着ける方法は、いろいろとあります。勝負運のご利益を授けてくれる神社に参拝することもそのひとつですよね。 そこで、今回の記事では、勝負運のご利益を授けてくれる5つの神社を紹介します。

三室戸寺の3つのご利益

京都府宇治市には、三室戸寺(みむろとじ)というお寺が建っています。 三室戸寺は、春はツツジ、梅雨はアジサイ、夏はハスが見頃を迎えることから、花の寺とも呼ばれています。 なので、多くの観光客の方が、これらのお花を観賞するために三室戸寺に訪れるますね。 ただ、三室戸寺に訪れてお花だけを見て帰るのは、もったいないです。 なせなら、三室戸寺には、他にも不思議なご利益を授けてくれる牛、兎、龍がいるからです。

伏見五福めぐりと名水

京都市伏見区の5寺社を初詣をかねて散策する伏見五福めぐりという巡礼があります。 伏見五福めぐりは、伏見五利益めぐりとも呼ばれ、昭和60年(1985年)から始まりました。 散策する5寺社は、長建寺、藤森神社、大黒寺、乃木神社、御香宮神社です。 伏見は酒蔵が多く、名水もいたる所で湧き出しており、もちろん上の5寺社の境内からも湧き出しています。 そこで、今回の記事では、伏見五福めぐりの各寺社とその名水を紹介します。

思わず笑ってしまう乃木神社のご利益

京都市伏見区に乃木神社という神社が建っています。 乃木神社は、大正時代に創建された比較的新しい神社で、明治時代の軍人の乃木希典(のぎまれすけ)を祭神として祀っています。 明治時代の軍人を祀っていると聞くと、非常に固そうな雰囲気がありますが、境内に入ると、これがなかなか面白いことになっています。

源義経の奥州平泉への旅立ちの地・首途八幡宮

平治元年(1159年)に起こった平治の乱で、平清盛が源義朝に勝ち、以後20年以上もの間、平家の全盛期が訪れました。 しかし、清盛が亡くなって、すぐに平家は衰退し、壇ノ浦の戦い(1185年)で源氏に滅ぼされることになります。 その時、平家を滅ぼした源氏の武将が、源義経でした。

源為朝が射抜いた石・平岡八幡宮

源平の争乱の始まりとなったことで有名なのが、保元元年(1156年)に起こった保元の乱です。 保元の乱の時は、まだ源氏と平家が戦うというよりも朝廷を中心とした争いに源氏と平家が参加したという形でした。 乱の原因は、後白河天皇と崇徳上皇との間の権力争いだったのですが、その争いに源氏も平家も身内同士で戦うことになります。 特に源氏は、父の源為義と長男の義朝が敵味方となって戦い、義朝の弟たちは父・為義につきました。 そして、その弟達の中には、弓の名手として知られる源為朝も混ざっていたのです。