中京区一覧

御霊神社に桓武天皇と深い関係があった人々が多く祀られているのはなぜ?

京都市上京区に上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)という神社が建っています。 また、上御霊神社から南東に15分ほど歩くと、下御霊神社という神社も建っています。 両社は、ともに「御霊」という文字が社名に入っているので、創建された目的は同じです。 その目的とは、怨霊の祟りを鎮めるためです。 平安時代、非業の死を遂げた人々が怨霊となって、疫病や洪水などの災いをもたらすと考えられていました。 そして、こういった災いから、京都を守るためには、怨霊を神社に祀って御霊に変えれば良いとされていました。 この信仰を御霊信仰といいます。 上御霊神社も下御霊神社も、祭神として...

実は京都の中心から少し北にずれている「へそ石」・六角堂

京都の中心はどこかと、京都に住んでいる方に聞けば、おそらく頂法寺と答えることでしょう。 頂法寺なんて聞いたことがないという人もいらっしゃるでしょうが、このお寺は、別名を六角堂といいます。 六角堂なら聞いたことがあるのではないでしょうか。 京都市中京区に建つ本堂が六角形のお寺ですね。

今も昔も京都経済の中心だった四条烏丸

京都の歴史といった場合、多くの人が平安京以降を思い浮かべるのではないでしょうか。 でも、京都が歴史的に注目が集まるのが平安時代以降ということであって、それ以前には京都に何もなかったわけではありませんし、人が住んでいなかったわけでもありません。 現在、京都の経済の中心となっているのは四条烏丸で、この辺りには多くの金融機関が建ち並んでいます。 全国的に有名な銀行や証券会社の他にも、京都に特化した会社なんかもありますね。 四条烏丸の発展は、近代からではありません。 実は、平安遷都(794年)以前から、四条烏丸は京都の中心として栄えていたのです。

処刑場だった三条河原。カップルが仲良く座るその場所も実は・・・。

京都市東山区と中京区に挟まれるように鴨川が北から南に流れています。 当然のことながら、川を渡ろうと思うと橋が必要になります。 東山区から中京区に行こうとする場合、三条大橋か、その1本北に架かる御池大橋のどちらかを選びますが、歩行者に人気があるのは三条大橋ですね。 近くにたくさんのお店が並んでいることが理由でしょう。 でも、三条大橋が架かる三条河原は、少しばかり気味の悪いところなので、できることなら近づきたくないですね。

近世の京都の物流を支えた高瀬川

2014年は、大坂冬の陣から400年目にあたります。 大坂冬の陣は、翌年に起こった夏の陣で豊臣家が亡びていることから、歴史的にみて重大事件と言えますね。 大坂冬の陣はとても有名な事件ですが、京都では、同じ年の慶長19年(1614年)に物流に革命が起こりました。 それは、高瀬川が完成したことです。

木屋町にある坂本竜馬の妻・お竜の寓居跡

坂本竜馬の妻のお竜(りょう)さんは、寺田屋で竜馬が幕府の役人に捕えられそうになった時、入浴中だったにもかかわらず、着るものも着ずにその危険を彼に報告したことで知られています。 そのお竜が、坂本竜馬と出会う直前まで住んでいたとされるのが、木屋町です。 現在、木屋町の都会館という建物の前にお竜の寓居跡を示す石碑が立っています。

寺町二条にあった藤原定家の京極邸

鎌倉時代に藤原定家という文化人がいました。 歴史の教科書にも出てくる人物なので、その名くらいは聞いたことがあるでしょう。 藤原定家と言えば、小倉百人一首を選んだ人物、新古今和歌集の編纂に関わった人物として有名ですね。 嵐山には、時雨殿(しぐれでん)という小倉百人一首のミュージアムがあり、その辺りには、藤原定家が小倉百人一首を選んだ時雨亭がありました。 なので、藤原定家ゆかりの地として嵐山がよく知られていますが、実は、彼の邸宅は、京都市中京区の寺町二条にあったんですよね。

江戸時代の豪商・尾州茶屋家の屋敷跡

京都市中京区の新町通蛸薬師下ルに白い壁の倉庫のような建物があります。 この辺りには、企業の建物が並んでいるので、おそらく、それらのひとつと思います。 その白壁の建物の近くに立札があるのに気づいたので、そこに何が書いてあるのか読んでみることにしました。 すると、この地は、江戸時代の京都の豪商・茶屋四郎次郎と茶屋新四郎の屋敷跡だったことがわりました。

京都にある三井発展の地・三井越後屋京本店記念庭園

京都市中京区の二条室町を歩いていると、立派なお屋敷があるのに気づきました。 まるで江戸時代のお屋敷のように瓦が乗った塀に囲まれていたので、大金持ちの方の邸宅なのだろうと思い、外から眺めていたのですが、どうも、居住空間であるべき建物が見当たりません。 一体、この敷地は何なのだろうと、門の前に行ってみると、そこには、「三井越後屋京本店記念庭園」と刻まれた石柱が立っていました。 どうやら、三井越後屋の建物跡のようですね。

新京極通の名の由来

京都市中京区に北は三条通から南は四条通まで続く新京極通があります。 新京極通はアーケードとなっているので、雨の日でも傘をささずに歩くことができます。 また、お土産物屋さんをはじめ、様々なお店が軒を連ねているので、修学旅行生や若者の姿がとても多い通りですね。 ところで、新京極通がなぜこのような名称になったかご存知でしょうか。 京都の通りの名称は、古くから使われているものが多いのですが、新京極通は、明治時代になってできた比較的新しい通りなんですよね。