明治になって再建された豊国神社
京都市東山区に建つ豊国神社(とよくにじんじゃ)は、豊臣秀吉を祀っています。 慶長3年(1598年)に秀吉が亡くなると、遺体は、彼の遺命により阿弥陀ヶ峰の中腹に埋葬されました。 そのふもとの豊国廟太閤坦(ほうこくびょうたいこうだいら)には、80余りの廟社が造営され、後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神(とよくにだいみょうじん)の神号を賜っています。 これが豊国神社の創建ですが、その後、荒廃し、明治になって再建されています。
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京都市東山区に建つ豊国神社(とよくにじんじゃ)は、豊臣秀吉を祀っています。 慶長3年(1598年)に秀吉が亡くなると、遺体は、彼の遺命により阿弥陀ヶ峰の中腹に埋葬されました。 そのふもとの豊国廟太閤坦(ほうこくびょうたいこうだいら)には、80余りの廟社が造営され、後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神(とよくにだいみょうじん)の神号を賜っています。 これが豊国神社の創建ですが、その後、荒廃し、明治になって再建されています。
京都市東山区の霊山(りょうぜん)に鎮座する京都霊山護国神社は、ペリー来航以降の幕末殉難者から第2次世界大戦までの英霊を祀っています。 明治元年(1868年)に我が国最初の官祭招魂社として創建され、墓地には、坂本竜馬のお墓があることは有名です。 そのお墓の脇には、明治37年12月に建立された墓碑があり、碑文には、明治天皇の皇后である昭憲皇太后の夢枕に坂本竜馬が現れた時の言葉が記されています。
地下鉄東山駅を出た南に昭和のレトロな雰囲気が漂う古川町商店街があります。 商店街はアーケードになっているので、雨の日でも買い物が便利です。 その古川町商店街の中にあるマンションの前には、ここが小泉俊太郎の住居跡だったことを示す駒札が立っています。
3月下旬に六角堂に桜を見に行った後、烏丸通を北に約15分歩き、京都市上京区に建つ有栖川宮旧邸 有栖館の特別公開を見に行ってきました。 有栖館は、普段は非公開なのですが、2024年3月23日から29日まで、平安女学院の創立150周年記念公開が行われています。 京都旅屋さんのブログで、拝観料が無料だということを知り、この機会に見ておかねばと思い訪れた次第であります。
3月下旬に京都市上京区に建つ有栖川宮旧邸 有栖館の特別公開を見た後、南隣の聖アグネス教会の特別公開にも行ってきました。 聖アグネス教会は、平安女学院の建物で、2024年3月25日から28日まで特別公開が実施されています。 今回の特別公開は、平安女学院の創立150周年記念公開ということで、なんと無料で見ることができます。 なんともありがたい企画じゃないですか。
京都市左京区にある南禅寺には、立派な三門が建っています。 石川五右衛門が上って「絶景かな」と言ったと伝わる三門ですね。 その三門の北側に背が高い石碑が置かれています。 この石碑は、今尾景年画龍碑(いまおけいねんがりゅうのひ)と呼ばれています。
発明王のエジソンは、白熱電球のフィラメントに京都府八幡市の竹を使ったとされています。 そのため、八幡市の男山に鎮座する石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の神苑には、エジソン記念碑が置かれています。 エジソンが八幡市の竹を使って白熱電球を発明したことは有名な話ですが、彼は、いったい、どうやって八幡の竹を手に入れたのでしょうか。
京都市上京区の京都御苑内には、たくさんの砂利が敷き詰められています。 砂利は、足を踏み込んだ感覚がデコボコして歩きにくいのですが、京都御苑内の主要な道路はすべて砂利道となっているので、御苑内を散策するには必ず歩かなければなりません。 でも、道路に砂利が敷き詰められている方が、昔ながらの風情を感じられますから、アスファルトで覆われているよりも良いのかもしれません。
京都市東山区の円山公園には1本の立派な枝垂れ桜が植えられています。 春、ソメイヨシノよりも少し早めに開花するこの枝垂れ桜は、祇園枝垂れ桜の愛称で親しまれ、京都市民だけでなく国内外からの旅行者にも人気があります。 この祇園枝垂れ桜は、昭和22年(1947年)に枯死した初代の枝垂れ桜の後に植えられた2代目になります。
京都市上京区に廬山寺(ろざんじ)というお寺があります。 廬山寺の境内の東には、光格天皇の父である慶光天皇(きょうこうてんのう)の陵があります。 光格天皇が即位したのは江戸時代後期のこと。 光格天皇の前の天皇は後桃園天皇だったのですが、後桃園天皇には男子がいませんでした。 そのため、後桃園天皇が崩御した後は、慶光天皇の男子であった光格天皇が即位することになりました。