
清荒神の節分祭・2014年
2月3日に護浄院を訪れました。 目的はもちろん節分祭です。 護浄院は、京都御苑の東にあるお寺で、清荒神(きよしこうじん)の通称で親しまれています。 普段、あまりお参りに行かないお寺なのですが、節分祭が盛り上がるということを知ったので、参拝した次第です。
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2月3日に護浄院を訪れました。 目的はもちろん節分祭です。 護浄院は、京都御苑の東にあるお寺で、清荒神(きよしこうじん)の通称で親しまれています。 普段、あまりお参りに行かないお寺なのですが、節分祭が盛り上がるということを知ったので、参拝した次第です。
京都には、名水が湧き出る名所がたくさんあります。 京都市上京区の菅原院天満宮神社もそのひとつですね。 菅原院天満宮神社には、何度もお参りをしているのですが、いつもペットボトルを持参しておらず、名水を汲まずにいました。 一度は名水を汲んで飲んでみようと思っていたので、1月中旬に初詣を兼ねて、菅原院天満宮神社を訪れました。
延元元年(1336年)10月10日に足利尊氏に降伏した後醍醐天皇は、花山院に幽閉されることになりました。 後醍醐天皇の警護は厳しく、使えるのは女房達だけで、吉田定房や万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)といった側近たちは、別の場所に監禁され、後醍醐天皇に近づくことを許されませんでした。 11月1日。 足利尊氏が花山院に後醍醐天皇を訪ねてきました。
延元元年(1336年)6月30日に新田義貞率いる後醍醐天皇方の軍勢が、足利尊氏が布陣する東寺に総攻撃をしました。 しかし、この総攻撃は失敗に終わり、後醍醐天皇方は名和長年が戦死するなど、大きな打撃を受けます。 敗報は、翌日に東坂本の仮皇居にいる後醍醐天皇にもたらされ、公卿たちは大いに落胆しました。
建武3年(1336年)2月。 後醍醐天皇の軍に敗れた足利尊氏は九州へと落ちのびました。 これで、再び京都に平和が戻ってき、2月29日には延元と元号も改元されました。 しかし、この平和もほんの一時の間だけで、1ヶ月もすると足利方に味方する仁木頼章(にっきよりあき)が丹波で旗揚げ、播磨では倒幕のために後醍醐天皇に味方した赤松円心も白旗城を築城し朝廷に弓を引く構えを見せていました。 その他、中国地方でも多くの武士たちが、後醍醐天皇に反旗を翻しました。
京都市内には、名水と呼ばれる湧水がいろいろなところにあります。 多くの場合、神社やお寺の境内から湧き出しており、場所によっては名水を汲むことができます。 ただ、観光のついでに名水を汲むと、持って帰るのが大変だったりします。 特に交通の便が悪いところだと、長時間重たい水を持って歩かないといけないこともあります。 だから、名水を汲むならバスや電車の駅が近くにあるところがおすすめです。 その条件を満たしているのが、京都御苑の周囲にある菅原院天満宮神社、梨木神社(なしのきじんじゃ)、下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)の3ヶ所です。
元弘3年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡した後、元弘の変で常陸に島流しとされた万里小路藤房(までのこうじふじふさ)が、6月に京都に戻ってきました。 これから後醍醐天皇を中心とした政治が行われることに期待を持ちながら京都に戻ってきた藤房でしたが、すぐに護良親王(もりながしんのう)と足利高氏が、いがみ合っていることを知ります。 これは何とかしなければならないと考えた藤房は、すぐに足利高氏の屋敷へと向かいました。
11月下旬に京都市上京区の梨木神社(なしのきじんじゃ)に参拝しました。 梨木神社は、京都市中心部にある紅葉の名所です。 京都御苑の東隣にあり、交通の便も良いので、ふらっと訪れるのにちょうど良い神社です。
11月下旬に京都市上京区の相国寺を訪れました。 相国寺は京都でも有名な禅寺です。 ところが1年を通して、観光客の方が殺到する時期というのがほとんどありません。 全く人がいないということではないのですが、どの季節もまんべんなく参拝者が境内にいるといった感じです。 その傾向は秋の紅葉の時期も同じです。 他の季節よりかは、多いものの境内が混雑するということはなく、のんびりと紅葉を見ることができました。
11月下旬に訪れた京都市上京区の浄福寺。 西陣の街中にある浄福寺は、幼稚園を運営しており、お参りのために境内に入ると、いつも子供たちの元気な声が聞こえてきます。 この時期に浄福寺にお参りをしたのは、紅葉を観賞するため。 それほど紅葉が有名なお寺ではありませんので、参拝者は少なめでした。