
退耕庵の小町堂と小野小町百歳井戸
京都市東山区の東福寺には、退耕庵という塔頭(たっちゅう)が建っています。 退耕庵は、貞和2年(1346年)に東福寺第43世住持性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建されたので、南北朝時代にできたお寺です。 ところが、退耕庵には、それよりも古い平安時代に活躍した小野小町ゆかりの玉章地蔵(たまずさじぞう)が小町堂と呼ばれる地蔵堂に安置されています。 この玉章地蔵は、いったいどのような理由で退耕庵に祀られるようになったのでしょうか。
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京都市東山区の東福寺には、退耕庵という塔頭(たっちゅう)が建っています。 退耕庵は、貞和2年(1346年)に東福寺第43世住持性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建されたので、南北朝時代にできたお寺です。 ところが、退耕庵には、それよりも古い平安時代に活躍した小野小町ゆかりの玉章地蔵(たまずさじぞう)が小町堂と呼ばれる地蔵堂に安置されています。 この玉章地蔵は、いったいどのような理由で退耕庵に祀られるようになったのでしょうか。
7月中旬に京都市東山区の東福寺にハスを見に行った後、近くの勝林寺に参拝しました。 勝林寺も、東福寺と同じように7月には、境内でハスを見ることができます。 ハスの数はそれほど多くありませんが、この時期に東福寺に参拝した際は、勝林寺にも立ち寄りたいですね。
7月中旬。 京都市東山区の東福寺に参拝しました。 東福寺は、秋の紅葉が美しいことで知られる臨済宗のお寺です。 紅葉の時期は大混雑の東福寺ですが、7月は観光で訪れる人が少なく境内をのんびりと歩くことができます。 そして、境内の南側にある思遠池では、たくさんのハスが一斉に花を咲かせ美しい風景を見せてくれます。
朝廷が南朝と北朝に分かれて争った南北朝時代は、多くの犠牲者を出しました。 南朝と対抗するために光明天皇を擁立して北朝とした足利尊氏とその弟の直義は、元弘の変から南北朝の争乱によって犠牲になった人々の霊を慰めることを考えます。 その方法は、奈良時代に聖武天皇が勅願により、全国に国分寺(金光明四天王護国寺)と国分尼寺(法華滅罪寺)を設置したのをならい、全国に安国寺と利生塔(りしょうとう)を設置するというものでした。
京阪電車の七条駅の改札を出て地上に上がると、西側を鴨川が流れています。 そのため、七条通から西の京都駅に行くためには、鴨川に架かる七条大橋を渡る必要があります。 鴨川には、三条大橋や五条大橋など、多くの橋が架かっています。 三条大橋は、幾度か架け替えが行われていますが、歴史によく登場しており、鴨川に架かる橋の中では有名ですね。 一方、七条大橋も立派な橋なのですが、歴史に登場することが少ないです。 それもそのはず、七条大橋は、近代に架けられた橋なので、京都の長い歴史から見れば、つい最近登場した橋なのです。
6月上旬。 京都市東山区の知恩院に参拝しました。 知恩院は、東山を代表する大寺院で、入り口に立つ大きな三門が有名であります。 また、最近まで工事が行われていた御影堂(みえいどう)も雄大です。 御影堂は、何年もかけて平成大修理が行われていたので、中に入ってお参りをしたのは随分と前のこと。 工事を終えた御影堂に入ることが今回の参拝の目的であります。
5月下旬に京都市東山区の八坂神社にサツキを見に行った後、近くの建仁寺に参拝しました。 建仁寺は、東山の繁華街である祇園に建っているのですが、意外と観光や旅行で訪れる人が少な目です。 春や秋の行楽シーズンでも、混雑することがないので、人ごみが苦手な方におすすめなんですよね。
5月下旬。 京都市東山区の清水寺にサツキを見に行った後、大谷祖廟を訪れたました。 大谷祖廟は、東本願寺の廟所で、参道に多くのサツキが植えられており、そろそろ花を咲かせているはずです。
5月下旬に京都市東山区の智積院に参拝した後、北に10分ほど歩き、大谷本廟を訪れました。 大谷本廟には、参道や仏殿の近くにサツキが植えられており、5月下旬から6月上旬に見ごろを迎えます。 今回の参拝の目的は、そのサツキを見ることにあります。
5月下旬に京都市東山区の豊国神社に参拝した後、南東に5分ほど歩いて法住寺を訪れました。 法住寺は、後白河法皇ゆかりのお寺として知られています。 そして、今の時期は、そろそろサツキが咲き始める頃です。