江戸時代一覧

知恩院の友禅苑にある宮崎友禅斎の像

京都を歩いていると、着物で観光している方をよく見かけます。 最近は、海外からお越しの方も着物をレンタルし、京都の街に溶け込むように観光していますね。 その中でも女性の着物は、花や葉などが染められた艶やかな意匠となっているものが多く、街中を歩いているだけで京友禅の美を楽しめます。 京友禅の技法は、その名からもわかるように京都で考案されたもの。 考案者は宮崎友禅斎で、京都市東山区の知恩院の門前に居を構えていました。

聞名寺の門前に立つ香川景樹の墓を示す石碑

京都市左京区の東山二条の交差点から東側の歩道を南に少し歩くと、癌病平癒にご利益があると信仰されている明眼地蔵を祀る聞名寺(もんみょうじ)というお寺が建っています。 その門前には、境内に江戸時代後期の歌人である香川景樹(かがわかげき)のお墓があることを示す石碑が立っています。

頂妙寺にある有隣軒輔信の墓

京都市左京区の頂妙寺は、境内に建つ仁王門が仁王門通の由来となったことで知られています。 広い境内を持つ日蓮宗のお寺ですが、普段は参拝する人が少なく境内は静かです。 その頂妙寺の境内の北東角には、江戸時代の茶人である有隣軒輔信のお墓があります。

醍醐の花見を描いたがために入牢となった喜多川歌麿

慶長3年(1598年)に催された醍醐の花見は、豊臣秀吉の最後の派手な行事となりました。 正室の北政所や側室たちを連れ、総勢1300人で花見をしたということですから、太閤秀吉の栄華がよくわかる話です。 また、秀吉は、応仁の乱(1467年)で、ほとんどの建物を失った醍醐寺を花見を機に再興し、世界遺産に登録されるほどのお寺にしています。 だから、醍醐寺にとって秀吉は大恩人なのですが、一方で、彼が催した醍醐の花見がきっかけとなって牢屋に入れられた人物もいました。 その人物は、江戸時代の絵師喜多川歌麿です。

伏見みなと公園にある角倉了以翁水利紀功碑

江戸時代初期に高瀬川を開削した角倉了以(すみのくらりょうい)の石碑は、京都の様々な場所に置かれています。 伏見区の濠川にある伏見みなと公園にも、角倉了以翁水利紀功碑(すみのくらりょういおうすいりきこうひ)という石碑が置かれており、春の桜の時期になると多くの旅行者や観光客の方が目にしています。

高瀬川開削375年を記念して建立された角倉了以翁顕彰碑

京都市中京区の二条から木屋町通沿いを南に向かって流れる高瀬川。 春になると、川沿いに植えられた桜が一斉に開花し、観光で訪れた人たちの目を楽しませてくれます。 その高瀬川を開削したのは、江戸時代の豪商の角倉了以(すみのくらりょうい)です。 高瀬川沿いには、角倉了以と関係する史跡が多く残っていますね。 高瀬川の開削375周年を記念して建立された角倉了以翁顕彰碑も、その一つです。

安産、子授け、嬰児守護の仁孝天皇御胞衣塚・西院春日神社

阪急電車の西院(さいいん)駅、または、京福電車の西院(さい)駅から北に約5分歩いたところに西院春日神社が建っています。 西院春日神社は、平安時代に淳和天皇の離宮である淳和院があった地とされ、天皇家とゆかりがあります。 また、境内には、江戸時代後期の仁孝天皇の御胞衣塚(おえなつか)もあり、安産、子授け、嬰児守護のご利益があると伝えられています。

江戸時代に商売の道徳を説いた石田梅岩の邸宅跡

現代は、経済が発達し、様々な物やサービスを利用できるようになりました。 世の中に多くの商売が生まれるほど、我々の生活は便利になっていきます。 一方で、経済が発達すると、多くのお金を儲けようとあくどい商売をする人も増えてきます。 あくどい商売をする人がいるのは、現代に限った話ではなく、江戸時代以前にも同じような問題はありました。 江戸時代に商売についての道徳を説いたのが石田梅岩。 資本主義が発達していなかった江戸時代に彼は、その重要性を説いていたというのですから驚きです。