安土桃山時代一覧

織田信長も築城した二条城

京都に建つお城と聞いてすぐに思いつくのは、中京区の二条城ではないでしょうか。 この二条城は、慶長8年(1603年)に徳川家康によって京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として造営されたものです。 二条城と言えば、通常、徳川家康の二条城を指しますが、実は家康が二条城を造営する以前にも二条城が存在していたことをご存知でしょうか。

江戸時代の水運で発展した伏見港

京都市伏見区には、以前は水運の拠点だったことから、港がありました。 その港は伏見港と呼ばれ、現在の京阪電車中書島駅付近は港町として賑わっていました。 しかし、今では伏見港は埋め立てられ、公園となっています。 埋め立てられたということは、港が必要なくなったということですが、その理由は一体何だったのでしょうか。 そこで、今回の記事では、伏見港の発展と衰退の歴史について紹介したいと思います。

豊臣秀吉の城下町京都・御土居跡

京都は、山に囲まれた盆地で中心部は平たんとなっています。 そして、碁盤目状に通りが造られていることから、交通渋滞を無視すれば、移動がしやすい街と言えます。 しかし、安土桃山時代の京都は、周囲を壁で囲んだ城郭都市だったため、京都の内から外への移動は非常に不便でした。

千利休切腹の原因となった大徳寺の三門

安土桃山時代の茶人として有名な人物といえば千利休ですよね。 千利休は、豊臣秀吉の帰依を受けて茶道を普及させていき、天正15年(1587年)には北野大茶の湯といった一大イベントに深く関わるなど、秀吉との仲も非常によく、政治についても秀吉の良き相談相手でした。 ところが、利休は天正19年に秀吉から突如切腹の命を受け、70歳でその生涯に幕を閉じました。

京都にもあった大仏・方広寺

京都に関する勘違いに「京都には大仏がある」といったものがあります。 大仏があるのは奈良で、京都には現在、大仏はありません。 京都やその近隣に住んでいる方は、わかっていることなのですが、京都から離れたところにお住まいの方は、意外と奈良と京都について勘違いされることがあるようです。 ただ、京都に大仏があるということも、あながち間違ってはいません。正確には、「京都にも大仏があった」ということになりますが。