討幕の挙兵予定日は北野天満宮の祭礼の日・正中の変

蒙古襲来があった鎌倉時代中期以降、幕府の信用が悪化していきます。 幕府のために蒙古軍と戦った御家人たちに、恩賞として分け与える土地がなかったことがその理由です。 御家人たちの不満は、他にもありました。それは、幕府の政務を担当していた北条家の権力が強大化していったことです。 窮乏する御家人たちと違い、北条家だけ栄える状況に人々の不満が募るのは当然のこと。 さらに元亨元年(1321年)には、京都で台風、水害、地震といった天変地異が相次ぎ、庶民たちの暮らしも苦しくなっていきます。 加えて、元亨2年に東北で蝦夷が反乱を起こし、鎌倉幕府への不満が加速していきました。 ...

晴れた日に見た常林寺の萩・2013年

京阪電車の終着駅の出町柳駅付近には、小さなお寺がたくさんあります。 どこも、あまり目立たないので、ほとんどの人が素通りするのですが、9月中旬になると、その中のひとつ常林寺の境内で、たくさんの萩の花が咲くことから、つい中に入って萩に見入ってしまう人をちらほらと見かけます。 そんな人たちに混ざって、私も常林寺の萩を見てきましたよ。

梨木神社の萩・2013年

9月は萩の花が咲く季節。 萩の花を求めて、京都に訪れる方は、それほど多くはありませんが、気候的に散策しやすい時期なので、この時期の京都観光の際は、萩の名所を訪ねると良いのではないでしょうか。 9月中旬。 京都市上京区の梨木神社(なしのきじんじゃ)に萩の花を見に行ってきました。

9月の平安神宮神苑無料公開・2013年

毎年9月中旬になると京都市左京区の平安神宮で、神苑の無料公開が行われます。 普段は有料なので、こういった機会を利用すると、お得ですね。 2013年は9月19日に神苑が無料公開されました。 ということで、平安神宮に参拝してきました。

台風が過ぎ去った後の桂川、宇治川、木津川・2013年9月17日の状況

2013年9月15日の夜から16日の朝にかけて京都を襲った台風による豪雨は、各地に大きな爪痕を残していきました。 嵐山を流れる桂川や京都市中心部を流れる鴨川が普段では考えられないほど水位が上昇。 特に嵐山は渡月橋付近が大洪水になり、周辺の旅館やお店、住宅が多数浸水しました。 他にも京都府北部の福知山でも由良川が氾濫し、大きな被害が出ました。 テレビのニュースでは、あまり採り上げられてはいませんでしたが、八幡市も浸水の被害が出ており、桂川、宇治川、木津川もあり得ないほど水位が上昇していました。

平安時代初期から京都にある住吉神社

大阪に住吉大社という有名な神社があります。 住吉大社には、住吉三神と呼ばれる海神が祀られています。 そのため、海運業や漁業関係者からの崇敬が篤く、大阪だけでなく、海上交通の拠点となる地には住吉神社が建てられ、全国に2千以上もあるということです。 あまり海とは関係のない京都市内にも下京区に住吉神社があります。

坂本竜馬はなぜ近江屋で暗殺されたのか?

坂本竜馬の暗殺については、その実行犯が誰だったのかということに関心が集まりますが、もうひとつ不思議に思うのが、なぜ暗殺された時、近江屋にいたのかということです。 近江屋跡は四条河原町の交差点を少し北に歩いたところにあり、そこから東に5分も歩けば、土佐藩邸跡があります。 坂本竜馬は、土佐藩出身だったのですから、わざわざ近江屋に宿泊しなくても、土佐藩邸にいれば良かったのではないかと思ってしまいます。

青蓮院にある5本のクスノキ

京都市東山区の地下鉄東山駅から南に5分ほど歩いた辺りに建つ青蓮院(しょうれんいん)には、立派なクスノキが5本植えられています。 この5本のクスノキは、京都市登録天然記念物となっています。 天然記念物に登録されるだけあって、背がとても高く、横に張り出した枝も飲み込まれそうなくらいの迫力があります。

御池大橋の近くにある夏目漱石の句碑

明治時代から大正時代に活躍した文豪夏目漱石は、生涯に4度京都を訪れています。 最初は明治25年(1892年)の夏に友人の正岡子規と訪れ、その後、明治40年春、明治42年、大正4年(1915年)と京都に来ています。 最後の訪問の時は、京都市中京区の御池大橋付近の北大嘉(きたのたいが)という旅館に宿泊しています。