勤王婆さんと呼ばれた「てい女」ゆかりの小川亭跡
京都には、幕末や明治維新の史跡が多く残っています。 有名なものから、あまり人に知られていないものまで。 一体どれくらいあるのかはわかりませんが、その数の多さは、他の時代の史跡よりも相当多いでしょうね。 京阪電車の三条駅の南にバスターミナルがあります。 そのバスターミナルの南側のビルには、勤王婆さんと呼ばれた「てい女」ゆかりの小川亭の後を示す石碑が立っています。
京都には、幕末や明治維新の史跡が多く残っています。 有名なものから、あまり人に知られていないものまで。 一体どれくらいあるのかはわかりませんが、その数の多さは、他の時代の史跡よりも相当多いでしょうね。 京阪電車の三条駅の南にバスターミナルがあります。 そのバスターミナルの南側のビルには、勤王婆さんと呼ばれた「てい女」ゆかりの小川亭の後を示す石碑が立っています。
8月上旬。 京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に参拝しました。 石清水八幡宮は、男山の山上に鎮座しているので、お参りするには山を登らなければならず、暑い夏は一苦労です。 でも、こういう苦労をして参拝するからこそ、ご神徳を授かることができるというもの。
京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)には、放生池という池ががあります。 放生池では、毎年夏になるとスイレンとハスがきれいに咲くんですよね。 暑い時期は、あまり京都散策をしたくないのですが、ハスとスイレンは見に行きたいという欲求もあり、午前中のそれほど暑くない時間帯に石清水八幡宮にお参りをしてきました。
坂本竜馬の妻のお竜(りょう)さんは、寺田屋で竜馬が幕府の役人に捕えられそうになった時、入浴中だったにもかかわらず、着るものも着ずにその危険を彼に報告したことで知られています。 そのお竜が、坂本竜馬と出会う直前まで住んでいたとされるのが、木屋町です。 現在、木屋町の都会館という建物の前にお竜の寓居跡を示す石碑が立っています。
7月24日に四条河原町を通過した祇園祭の後祭山鉾巡行の後に見た花傘巡行。 前半は、元気な子供神輿が次々と交差点を曲がっていきました。 後半は、花傘巡行の名にふさわしく、優雅な列が四条河原町の交差点に入ってきます。
7月24日の午前11時30分頃に四条河原町の交差点を通過していった祇園祭の後祭山鉾巡行。 これで終わりと思った沿道の観覧者の方たちが、次々と帰っていきました。 でも、この後は、山鉾巡行よりも先に四条通を西に進んでいった花傘巡行が戻ってくるんですよね。
7月24日に四条河原町に見に行った祇園祭の後祭山鉾巡行。 残す山と鉾は2基です。 49年ぶりに行われたということもあって、途中で帰る観覧者の方は、あまりいませんでした。
7月24日に行われた祇園祭の後祭巡行。 私は四条河原町で観覧してきました。 巡行は、問題なく進み、あっという間に後半戦に突入です。 残すところ、あと4基です。
7月24日に四条河原町の交差点で見た祇園祭の後祭山鉾巡行も中盤。 ここまで4基の山が河原町通を南下してきて、交差点で方向転換し、四条通を西に進んでいきました。 前半は、小さな山ばかりだったので、すんなりと巡行が進んでいます。
7月24日の祇園祭の後祭山鉾巡行を四条河原町に見に行ってきました。 先頭の橋弁慶山、2基目の北観音山が、辻回しを終えて、3基目の山がやって来るところ。 沿道は、49年ぶりに復活した後祭山鉾巡行を見るためにたくさんの人が集まっていました。