伏見稲荷大社の氏子は地元にいない

京都市伏見区に建つ伏見稲荷大社は、近年、外国人旅行者に人気がある神社です。 また、商売繁盛のご利益を授けてくれるとあって、正月には初詣客で境内が大変賑わいます。 伏見稲荷大社では、毎年4月下旬から5月上旬にかけて稲荷祭が行われます。 こういった祭礼は、地元の氏子によって催されるのですが、伏見稲荷大社が鎮座する伏見区には氏子がいません。 なぜなのでしょうか。

木島神社と元糺の森

京都市右京区に木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)という神社が建っています。 あまりに長い名なので、木島神社(このしまじんじゃ)と呼ばれることがありますが、それでも、聞いたことがない人が多いと思います。 木島神社には、他にも蚕(かいこ)の社(やしろ)の呼び名もあり、おそらく、こちらの方が知っている人が多いでしょうね。

鞍馬山の木の根道

出町柳駅から叡山電車に乗車して終着駅の鞍馬駅まで行くと、鞍馬寺が建っています。 鞍馬寺はその名のとおり、鞍馬山に建立されたお寺です。 山頂の本殿金堂まで参拝するためには山道を登らないといけないので、体力に自信のない方だとお参りするのが厳しいですね。 でも、山内にはケーブルカーがあるので、それに乗車すれば楽に山頂に行けます。 山頂の本殿金堂にお参りを済ませた後、まだ、元気が残っていれば、木の根道になっている鞍馬山を散策するのもおすすめです。

鳥羽街道の田中神社は伏見稲荷大社の境外摂社

京阪電車の鳥羽街道駅から東福寺に向かう途中、鮮やかな朱色の鳥居の前を通りました。 以前から、東福寺に行く時に何度も通っていたのですが、鳥居をくぐったことはありません。 でも、何度も通りすぎていると、さすがに気になってくるもので、この神社に参拝してみることに。

京都御苑にあった縣井は京都三名水のひとつ

京都には、名水が湧き出る場所がいくつもあります。 特に有名なのは酒蔵が建ち並ぶ伏見ですが、京都市中心部にも名水が湧き出る場所が多くあります。 京都市上京区の京都御苑内にも、縣井(あがたい)と呼ばれる名水が湧き出る井戸が残っています。 残念ながら、現在は涸れてしまっていますが、以前は京都三名水のひとつに数えられたほどの名水が湧き出していました。

慶長伏見大地震で活躍した加藤清正

文禄5年(1596年)閏7月13日。 京都を大きな地震が襲いました。 特に伏見で被害が大きく、豊臣秀吉が築いた伏見城も大きな被害を受けました。 城内にいた中居下女が500人も亡くなったと伝えられていますから、伏見城の被害は相当なものだったのでしょう。

真如堂の藹山自叙碑

幕末から明治時代にかけて活躍した画家に谷口藹山(たにぐちあいざん)がいます。 藹山の生まれは越中国新川郡鉾ノ木村で、名を貞二といいました。 幼少の頃から絵が好きで、18歳で江戸に出て谷文晁のもとに入門し文齋と号しましたが、すぐに梁川星巌(やながわせいがん)のすすめで高久藹崖(たかくあいがん)の門下となって藹山と号しました。

真如堂の小林君之碑

京都市左京区の真如堂には、いくつか石碑があります。 それらの碑文を見ても、何を書いているのか全くわかりません。 でも、石碑の近くには、説明書が設置されているので、それを読むと、石碑の意味が理解できます。 本堂の南側にある小林君之碑(おばやしくんのひ)も、最初は何の石碑かまったくわからなかったのですが、お寺が用意している説明書のおかげでその内容がわかりました。

東福寺の維新戦役忠魂碑

慶応4年(1868年)正月3日に京都で鳥羽伏見の戦いが起こりました。 鳥羽伏見の戦いは、薩摩藩及び長州藩を中心とした新政府軍と旧幕府軍との間の戦いで、戊辰戦争(ぼしんせんそう)の幕開けとなりました。 京都には、鳥羽伏見の戦いの史跡がいろんなところにあり、京都市東山区の東福寺にも維新戦役忠魂碑が立っています。

下御霊神社の正門にある龍の飾り

京都にはたくさんの神社が建っています。 京都が風情ある街並みをしているのは、いろんなところに神社があることが理由のひとつでしょう。 神社はどこも同じように見えますが、細かいところを見ていくと、その神社に独特の装飾があったりします。 京都市中京区に建つ下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)も、パッと見た感じはそんなに特徴があるように思えないのですが、実は、正門の参拝者が気付きにくいところに龍の装飾があるのです。