八坂の塔は室町幕府が設置した利生塔

朝廷が南朝と北朝に分かれて争った南北朝時代は、多くの犠牲者を出しました。 南朝と対抗するために光明天皇を擁立して北朝とした足利尊氏とその弟の直義は、元弘の変から南北朝の争乱によって犠牲になった人々の霊を慰めることを考えます。 その方法は、奈良時代に聖武天皇が勅願により、全国に国分寺(金光明四天王護国寺)と国分尼寺(法華滅罪寺)を設置したのをならい、全国に安国寺と利生塔(りしょうとう)を設置するというものでした。

梅雨の晴れ間に眺めた善峰道休息所からの景色・2020年

6月中旬に京都市西京区の善峯寺に参拝した後、国道208号線の坂道をのんびりと歩きました。 帰りは下り坂なので、疲れませんが、とても急な坂道なので、上るのは大変です。 善峯寺から15分ほど208号線を下った場所に善峰道休息所があります。 ここからの眺めが、爽快だったので、ちょっとだけ立ち寄ることにしました。

保津川の開削で仕事を奪われた丹波の馬借

京都府亀岡市から保津川の急流を下る保津川下りは、観光客にとても人気があります。 その保津川は、古くから京都への物資の輸送に利用されてきました。 材木を筏に組んで嵐山の渡月橋付近まで流し、それを京都に運んで建築資材として使っていたんですね。 江戸時代初期の慶長9年(1604年)には、角倉了以(すみのくらりょうい)が、保津川の開削を計画し、さらに物資を輸送しやすくしました。

龍安寺石庭の15個の石を同時に見ることができるか?

京都市右京区の龍安寺の方丈の前には石庭が配されています。 この石庭は、白砂の波紋と15個の石からなり、虎の子渡しの庭や七五三の庭などと呼ばれています。 石庭に置かれた15個の石は、どんなに頑張っても14個までしか同時に見ることができないと言われています。 実際のところは、どうなんでしょうか。 これは、石庭を見に行って、石を数えてくるしか確かようがありません。

七条大橋の矢車模様の高欄

京阪電車の七条駅の改札を出て地上に上がると、西側を鴨川が流れています。 そのため、七条通から西の京都駅に行くためには、鴨川に架かる七条大橋を渡る必要があります。 鴨川には、三条大橋や五条大橋など、多くの橋が架かっています。 三条大橋は、幾度か架け替えが行われていますが、歴史によく登場しており、鴨川に架かる橋の中では有名ですね。 一方、七条大橋も立派な橋なのですが、歴史に登場することが少ないです。 それもそのはず、七条大橋は、近代に架けられた橋なので、京都の長い歴史から見れば、つい最近登場した橋なのです。

梅雨に参拝した六角堂・2020年

6月下旬に京都市中京区の六角堂に参拝しました。 六角堂は、京都のビジネス街である烏丸御池から近く、ビジネスマンやOLの方のちょっとした憩いの場となっています。 地元の方のお参りも多く、境内は、ほっと一息つける雰囲気がありますね。