新町通の百足屋町は祇園祭の観音山を製作した百足屋が由来

京都市中京区の四条通から新町通を北に約3分歩くと、錦小路通(にしきのこうじどおり)と交わり、さらに北上すると蛸薬師通(たこやくしどおり)と交わります。

この錦小路通と蛸薬師通の間は、百足屋町(むかでやちょう)という変わった町名で、この辺りに百足屋という豪商のお店があったことが由来と伝わっています。

祇園祭に莫大な寄付をした

百足屋町には、地下鉄の四条駅、または、阪急電車の烏丸駅から北西に約5分歩くと到着します。

以前に紹介した書籍『京都「地理・地名・地図」の謎』によると、明治末期の『京都坊目誌』にかつてこの地に百足屋という豪商が住んでおり、祇園祭になると、莫大な寄付をして町内の山車をつくり祇園祭に出していたことが記されているそうです。

この百足屋の財力で祇園祭が支えられていたというのですから、現代だと京都を代表する有名企業並みの資金力を持っていたと想像できます。

祇園祭に登場する山鉾は、その見事な意匠から動く美術館と呼ばれていますが、百足屋が資金を出して製作した観音山は地織り綴れ錦の豪華なものだったという。

現在の祇園祭では、新町通沿いに2つの観音山が建てられます。

蛸薬師通より北の新町通は、町名が六角町になりますが、北観音山が建ちます。

北観音山

北観音山

 

また、蛸薬師通と錦小路通の間の百足屋町には、南観音山が建ちます。

南観音山

南観音山

どちらの観音山も同じような造りですが、北観音山は金色が目立ち、南観音山は赤色が目立つ点で区別がつきます。

 

昔は、新町通と1本東の室町通は呉服屋が密集して並んでおり、多くの客で賑わっていたとか。

その中には百足屋もあり、足が100本あるムカデは客足が多いことにつながることから、商売繁盛を願って「百足屋」の屋号にしたそうです。

現在は百足屋という呉服屋は姿を消していますが、今も食事ができる百足屋という名のお店が、百足屋町にはいくつかあります。

 

夷川通沿いにもある百足屋町

同じ中京区には、もう一つ百足屋町があります。

京都御苑の南、東西の夷川通沿いに南北の堺町通を挟んで東側と西側に分かれた百足屋町があります。

百足屋町に挟まれているのは亀屋町。

町が2つに分かれているのは不思議ですが、京都市内ではたまに見かけます。

夷川通沿いの百足屋町も、やはり、商売繁盛を祈願して屋号を百足屋としたお店が多く存在した模様。

ただ、扱っていたのは呉服ではなく家具で、夷川通沿いの百足屋町は家具屋の密集地帯として栄えていたそうです。

 

見た目が気持ち悪いし、嚙まれると痛いしで、良い印象がないムカデですが、商売人には客足が増える縁起が良い生き物とされ、それが百足屋町の地名として定着したのが興味深い。

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