10月22日に木屋町三条に時代祭を見に行きました。
徳川城使上洛列の後にやって来たのは、江戸時代婦人列。
ここまで男性ばかりの列が続いていたためか、本列がやって来ると、箸休めのような気分になります。
地味な衣装から派手な衣装へ
江戸時代婦人列の先頭が近づいてきます。

江戸時代婦人列
昭和25年(1950年)の時代祭復活にあたって婦人列が新設されました。
その後、同28年に婦人列は3列に再編され、江戸時代婦人列はそのひとつになります。
当初は花街が奉仕していましたが、平成12年(2000年)から京都市地域女性連合会の奉仕に変わっています。
雅な音楽とともに輿に乗ってやってきたのは、平安神宮の祭神である孝明天皇の妹の和宮(かずのみや)です。

和宮
十二単(じゅうにひとえ)として知られる近世女房装束を着用。
橙色の羽織が薄曇りの三条通に日を射しているようであります。
後ろに座る2人の女性は女嬬(にょじゅ)。
ほとんど体を動かさず通過していく様子は、穏やかな宮中の日常を想像させますね。
和宮は、14代将軍徳川家茂に嫁しましたが、時代祭では宮廷内での姿を再現していますよ。
続いて登場したのは大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)です。

大田垣蓮月
幕末の女流歌人で、後に尼となり蓮月と称しています。
時代祭では、彼女の娘時代を再現しています。
少し青みがある白色の衣装が、初々しさを感じさせますね。
ちなみに北区の神光院には、彼女が隠棲した茶室が残っていますよ。
3番目にやって来たのは、池大雅の妻・玉蘭(ぎょくらん)です。

池大雅の妻 玉蘭
衣装は、真綿紬(まわたつむぎ)の小袖姿で、畳のような色合い。
一見、質素に見えるものの、下半分に白色で模様が描かれており上品さがあります。
着こなしが難しそうな和服ですね。
玉蘭は夫が画家でありましたが、彼女自身も和歌に秀でており、閨秀画家(けいしゅうがか)としても有名です。
次に登場するのは、中村内蔵助(なかむらくらのすけ)の妻です。
後ろから続くのは腰元。

中村内蔵助の妻
夫は京都銀座で巨万の富を得ていたことから派手な衣装での登場を期待させますが、全身黒色の目立たない姿をしています。
中村内蔵助の妻は、衣装比べの折、このような黒色の衣装で参加しています。
お色直しの際も、同じく全身黒の衣装で現れ、派手な衣装を着た女性たちの中にあって一際注目を集めた話はよく知られていますね。
忠臣蔵でも、登場することがありますよ。
5番目にやって来たのは、祇園梶女。

祇園梶女
元禄時代(1688-1704年)の女流歌人で、祇園で茶店も営んでいました。
時代祭では、緑色の小袖を着用し、いかにもお店で働く女性といった姿で登場します。
当時、祇園で働く女性はこのような衣装を着ていたんですね。
手に持っている枝は何でしょうか。
先ほど登場した玉蘭は、梶の孫です。
続いて派手な衣装で登場したのは、吉野太夫です。

吉野太夫
後ろから続く男衆は傘を持っていますが、写真には棒の部分しか写っていませんね。
吉野太夫は、六条三筋町の芸妓で、後に灰屋紹益の妻となっています。
時代祭では、彼女が名妓と評判だった頃の姿を再現しています。
さすがに名妓とあって、衣装が立派。
足元は、島原太夫道中の時のような高い黒色の下駄は履いていません。
何時間も歩かなければならないので、下駄は厳しいでしょうし、島原太夫道中のような歩き方ではいつまで経っても平安神宮に到着しそうにありません。
江戸時代婦人列の最後尾は、出雲阿国です。

江戸時代婦人列の最後尾
上の写真の右側にちょっとだけ写っている黒色の衣装が出雲阿国ですが、ほとんどわかりませんね。
江戸時代婦人列は、人と人の間隔が狭く次から次に進んできたので、シャッターチャンスを逃してしまいました。
本列で最も派手な衣装を着ているのが出雲阿国なのに残念です。
出雲阿国は江戸時代初期の女性で、四条河原や北野天満宮で念仏踊りを演じたことで知られ、それが後の歌舞伎の起源とされています。
今も四条大橋の近くに歌舞伎の南座が建っていますね。
江戸時代婦人列は、最初の方は地味な衣装の女性が多く登場し、後になるほど派手になっていきます。
それが観覧者を飽きさせないですね。
なお、江戸時代の行列は動画も撮影しましたのでご覧ください。
次は、豊公参朝列がやって来ます。