JR山科駅の北東500メートルほどの場所に山科疎水のトンネルがあります。
そのトンネルから少し南に歩くと諸羽神社(もろはじんじゃ)という神社が建っています。
諸羽神社は、6柱の祭神を祀っています。
数としては、通常よりも多いですね。
でも、最初はこんなに多くの祭神を祀っていなかったようです。
当初は2柱を祀っていた
山科疎水に沿って、諸羽神社に向かうと、後ろから境内に入場することになります。
なので、正面から境内に入るなら、南の鳥居をくぐりましょう。
境内は、縦に長い造りとなっており、奥に本殿などの社殿が建ち並んでいます。
あまり、参拝される方がいらっしゃらないのか、境内は静かです。
以下、神社の説明書に書かれていた諸羽神社の解説を紹介します。
諸羽神社は、当初、天児屋根命(あめのこやねのみこと)と天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祭神として祀っていました。
つまり、最初は2柱しか祀っていなかったということですね。
上古にこの2柱は、禁裏御料地の山階(やましな)郷柳山(やなぎやま)に降臨したので、楊柳大明神(ようりゅうだいみょうじん)と称していました。
また、この2柱は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の左右に従っていたことから両羽大明神(もろはだいみょうじん)とも呼ばれていたそうです。
その後、貞観4年(862年)に清和天皇の勅命で、社殿が造営されました。
室町時代に6柱に
諸羽神社は、応仁の乱(1467年)の兵火によって社殿が焼失しましたが、その後、再建されました。
また、室町時代の永正年間(1504-1521年)に4柱が合祀されました。
これら4柱は以下のように祀られています。
中央に八幡宮、左に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、右に素戔嗚尊(すさのおのみこと)と若宮八幡。
そして、この時に両羽大明神から諸羽神社に社名が変わっています。
その後、江戸時代の明和年間(1764-1772年)に大火で社殿が焼失しましたが、再建されて現在に至っています。
また、諸羽神社は、山科十八郷の中で第4番目にあたることから古くは四ノ宮とも呼ばれ、この付近の産土神(うぶすながみ)として信仰を集めていたようです。
現在、この辺りが四ノ宮と呼ばれているのも、これが起源なんでしょうね。
諸羽神社に参拝に訪れる方は少ないようですが、春には、山科疎水沿いの桜が見頃を迎えるので、お花見に合わせて訪れてみてはいかがでしょうか。
なお、諸羽神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。