10月上旬に京都駅近くの不動堂明王院と道祖神社に参拝した後、西に5分ほど歩き、粟嶋堂宗徳寺(あわしまどうそうとくじ)を訪れました。
粟嶋堂宗徳寺は、人形供養のお寺として知られており、境内には多くの人形が奉納されています。
人形を捨てるのが忍びないという方が、当寺に供養をお願いするのでしょうね。
様々な人形
粟嶋堂宗徳寺は、京都駅から西に10分ほど歩いた辺りに建っています。
南門の前に到着。
人形供養の大きな文字が目立っており、これが粟嶋堂宗徳寺の目印となります。
南門から境内に入ります。
境内の中央には、粟嶋堂神殿が建っているのでお参りをしましょう。
宗徳寺は、西山浄土宗に属するお寺で、応永年間(1394-1427年)に行阿上人が創建したのが始まりと伝えられています。
その後、宝徳年間(1449-1452年)に南慶和尚が紀伊国淡嶋から粟嶋明神を勧請(かんじょう)して上洛する際、当地辺りで急に御神体が重くなったことから、神意としてここに祀ったと言われています。
以来、粟嶋神社は宗徳寺の鎮守として祀られてきましたが、明治時代の神仏分離令により粟嶋堂と改められました。
粟嶋明神は、古来から女性の守護神として崇められ、婦人病平癒や安産祈願にご利益があるとされています。
粟嶋堂神殿の右前にびんずるさんがいらっしゃったので、体を撫でておきましょう。
びんずるさんの体をさすると、自分の体の悪い部分が治ると言われていますね。
境内の北東角にある小さなお堂。
お堂の中には、日本人形がたくさん並んでいます。
粟嶋堂神殿の南隣に建つお稲荷さんのさらに南隣の庚申堂にも人形がありますよ。
こちらはひな人形のようですね。
粟嶋堂宗徳寺は、あわしまさんと呼ばれ親しまれており、女性の参拝者が絶えないのですが、江戸時代には俳人の与謝蕪村が娘の病気回復を祈願しに訪れています。
その時に詠んだ句が、境内の東側の石碑に刻まれています。
粟嶋へ はだしまいりや 春の雨
与謝蕪村の句碑の隣に建つ建物にも、多くの人形が並んでいました。
こちらは洋風の人形が多いですね。
人形であれば、和風でも洋風でも問わず奉納できるようです。
庚申堂の脇では、萩が赤色の小さな花をたくさん咲かせていました。
10月なので萩もそろそろ終わりかなと思っていたのですが、粟嶋堂宗徳寺の萩は、まだ見ごろを保っていましたよ。
緑色の大きな葉が目立っていますが、あれは何という植物なのでしょうか。
お参りを済ませたので、そろそろ境内から出ましょう。
この後は、梅小路公園にフジバカマを見に行きました。
なお、粟嶋堂宗徳寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。