6月下旬に京都市北区の金閣寺を拝観した後、きぬかけの道を西に15分ほど歩いて右京区の龍安寺(りょうあんじ)を訪れました。
龍安寺も金閣寺と同じく平成6年(1994年)に世界遺産に登録された寺院です。
龍安寺と言えば、「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」と呼ばれる石庭が有名で、この庭園を一目見ようと国内外から多くの旅行者や観光客の方が訪れます。
梅雨の青空と石庭
龍安寺は、市バス停「竜安寺前」で下車してすぐです。
京福電車だと龍安寺駅で下車して、北に徒歩約5分ですね。
バスを降りると、両脇に青葉がいっぱいの砂利道が現れます。
ここが龍安寺の参道です。
参道を少し歩くと、山門付近に拝観受付があるので、ここで500円を納め境内に入ります。
山門をくぐった先の参道も、両脇のカエデの青葉がきれいですね。
参道ではまた、梅雨らしく青色のガクアジサイがたくさん咲いていました。
石庭の入り口となっている庫裡(くり)の玄関で拝観券を提示し、拝観案内をいただきます。
そして、靴を脱ぎ廊下を歩いて方丈に向かいます。
廊下の途中にあるのが、あの有名な石庭です。
いつ見てもコンパクトにまとまった石庭です。
と言うのは冗談で、これはミニ石庭です。
目の不自由な方が触って、石庭がどうなっているのか確認するものだそうです。
ミニ石庭で、石の配置を事前に知っておくと、本物の石庭を見る時の参考になりますよ。
方丈にやってきました。
その南側に広がっているのが、教科書や京都のガイドブックでよく目にする石庭です。
東西25メートル、南北10メートルの四角い空間に白砂が敷き詰められています。
そして、白砂の上には、15個の石が配されています。
龍安寺の石庭の作庭年代は室町時代末期(1500年頃)とされています。
作者は、龍安寺を建立した細川勝元、絵師の相阿弥、茶人の金森宗和など様々な説がありますが、はっきりとはわかっていません。
庭石の裏に「小太郎・□二郎」と刻印があるのですが、これも作者をあらわすものなのかはわかりません。
苔の上に置かれた大きな石。
石庭を囲む土塀は、菜種油を混ぜた土で作られた油土塀です。
油土塀は、白砂からの照り返し防止、風雪に耐えぬく頑丈な造りとなっています。
時の経過により土塀の色が変化し、独特の風合いを出しているのも、石庭鑑賞をより味わい深いものとしていますね。
梅雨の青空と石庭。
石庭の西側は、3ヶ所に石組があります。
庭園の西側に置かれている石は合計8個。
上の写真の右側に少し見える西端の油土塀は、手前が高く、奥に行くほど低くなっています。
このようにすることで、奥行きのある庭だと鑑賞者を錯覚させているのだとか。
そう言われれば、南北が10メートルしかない石庭なのにもっと奥行きがあるように見えますね。
石庭を鑑賞した後は、方丈の西側へ。
西側の庭には苔が敷かれており、カエデの木も数本植えられています。
庭の奥には、三日月形の穴が空いた灯籠が立っています。
方丈の北東には、水戸黄門でお馴染みの水戸光圀が寄進した蹲踞(つくばい)があります。
この蹲踞は、中央に四角い穴が空いています。
この穴は、「口」が含まれている4つの漢字の一部を構成しています。
その4つの漢字は、「吾」「唯」「足」「知」で、「われただたるをしる」と読みます。
「足りていると思っている人は貧しくとも富み、足りていないと思っている人は富があっても貧しい」といった感じの意味ですね。
方丈の東側には、龍安寺垣と呼ばれる竹垣が設けられています。
透かしの部分に割竹を菱形に張っているのが、龍安寺垣の特徴だとか。
境内の他の場所でも見ることができますよ。
石庭を鑑賞し終えたので、方丈から外に出ましょう。
龍安寺の石庭を見て何を感じるのか、それは見る人の自由であります。
この後は、鏡容池のスイレンを見に行きます。