京阪電車の鳥羽街道駅から東福寺に向かう途中、鮮やかな朱色の鳥居の前を通りました。
以前から、東福寺に行く時に何度も通っていたのですが、鳥居をくぐったことはありません。
でも、何度も通りすぎていると、さすがに気になってくるもので、この神社に参拝してみることに。
和泉式部ゆかりの社
その朱色の鳥居が建っている神社は、田中神社です。
鳥羽街道駅から北東に5分ほど歩いた辺りに建っています。
鳥居だけでなく玉垣も朱色。
どことなく伏見稲荷大社を連想させる神社だなと思って、説明書を読んでみると、田中神社が伏見稲荷大社の境外摂社であることがわかりました。
田中神社の創建年代は不詳。
でも、古今著聞集や十訓抄に田中の社の記述があることから、一条天皇(在位986-1011年)の時代には建立されていたと考えられます。
本殿に祀られているのは田中大神。
毎年11月11日には火焚祭が行われているとのこと。
社殿には正保2年(1645年)の棟札が残っていますが、昭和7年(1932年)に大修理が行われ、多くの部材が取り替えられています。
でも、蟇股(かえるまた)や虹梁(こうりょう)は、彫刻絵様等から見て正保造営時までさかのぼることができると考えられています。
境内に入ります。
正面には本殿、参道脇には小さな手水屋があります。
境内には、正保造営時に奉納された石燈籠や天保13年(1700年)寄進の手水鉢があるとのことですから、上の写真に写っている手水鉢とその奥の燈籠が、それなのでしょうね。
平安時代には、歌人の和泉式部が稲荷詣での途中、田中の社の近くで時雨にあい難渋している時、田を刈る童から襖(あお)を借り、無事に参拝できたと伝えられています。
ちなみに襖は雨具のことです。
和泉式部が、襖を童に返した翌日、その童から和歌が贈られてきました。
時雨する 稲荷の山の もみじ葉は
あおかりしより おもいそめてき
なかなか教養のある童ですね。
田中神社は、社名からもわかるように昔から五穀豊穣の神さまとして崇敬されてきました。
伏見稲荷大社も五穀豊穣の神さまですから、その関係で田中神社は境外摂社になっているのでしょうか。
田中神社は、伏見稲荷大社から、それほど遠くありません。
なので、伏見稲荷大社の参拝後に田中神社に立ち寄ってみるのも良いですね。
時間がある場合は、東福寺にもお参りするのをおすすめします。
何気ないところで、新たな発見があるのが京都散策の魅力です。