京都市中京区の備前島町は、東を木屋町通、西を河原町通に挟まれています。
木屋町通と河原町通の間には、細い路地がいくつもあり、狭い空間にたくさんのお店が軒を並べています。
それらお店に囲まれるように社殿が建っているのが、岬神社です。
商売繁盛のご利益を授けてくれる
岬神社の入口には、他の神社でよく目にする鳥居がなく、門が建っています。
朱色の玉垣があるので神社だとわかりましたが、やはり、入口には鳥居があった方がわかりやすいですね。
門をくぐって境内へ。
すると、朱色の鳥居が建っていました。
参道にも屋根が伸びているので、雨の日でも参拝しやすいですね。
それでは本殿にお参りです。
岬神社は、室町時代初期に鴨川の中州の岬に祠を建てたのが始まりと伝えられています。
その後、祠は鴨川の西岸など数度移転し、江戸時代初期に現在地付近に建てられた土佐藩邸内に遷されました。
祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と石栄神(せきえいのかみ)の2柱で、農耕、商売、土木、金工など諸業の繁栄、火難除けなどの災厄除けにもご利益があるとのこと。
倉稲魂命は、お稲荷さんの愛称で親しまれている神さまで、商売繁盛のご利益を授けてくれることで知られていますね。
境内に立つ坂本龍馬像
岬神社は、土佐藩邸内に祀られたお稲荷さんということで、土佐稲荷と呼ばれるようになりました。
土佐藩士はもちろんのこと、先斗町(ぽんとちょう)や木屋町など周辺の町衆からも産土神(うぶすながみ)と崇められるようになります。
そのため、土佐藩邸では、藩士以外も自由に参拝できるように通路を確保したそうです。
境内には、幕末の土佐藩士坂本竜馬の像が立っています。
坂本竜馬や中岡慎太郎らも土佐稲荷に参拝していたと考えられています。
坂本龍馬像はそれほど大きなものではありませんが、狭い境内では存在感がありますね。
明治時代になり、土佐藩邸が売却されると岬神社は移転することになります。
何度かの移転を経て、現在地に落ち着いたとのこと。
また、現在の社殿は、大正2年(1913年)に近隣の氏子たちによって建立されたそうです。
毎年6月10日に例祭が行われ、明治10年(1877年)から伝わる神輿も巡行します。
京都には狭い路地がいくつもありますが、普段、あまり歩くことはありません。
でも、何気なく路地に入ってみると、こういった興味深い神社に出会うことがあるので、広い道路ばかりでなく狭い路地も、たまには歩きたいですね。