平安時代の人々は、地震や台風などの自然災害、疫病の流行がなぜ起こるのかわかりませんでした。
科学の発達した現代では、これらの原因はテレビのニュースや新聞を読めば簡単にわかります。
では、科学の発達していない当時の人々は、天変地異や疫病の流行にどう対処したのでしょうか?
怨霊を鎮める上御霊神社
平安時代の人々は、天変地異や疫病の流行は誰かの怒りによって引き起こされていると考えました。
怒っているのは一体誰なのか?
それは、無実の罪で非業の死を遂げた人々の怨霊だと答えを出します。
つまり、都が怨霊にたたられていると考えたわけです。
特に桓武天皇の身の回りで不幸が重なったことから、怨霊を鎮めるために神社を創建します。それが御霊神社(ごりょうじんじゃ、上御霊神社ともいう)です。
上御霊神社を創建した当時は、早良親王(さわらしんのう)、井上内親王(いのえないしんのう)、他戸親王(おさべしんのう)を祀りましたが、その後、藤原吉子、文屋宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)、橘逸勢、吉備真備、菅原道真も祀られました。
では、彼らは一体どんな理由で、怨霊となったのでしょうか。以下に簡単にまとめてみました。
早良親王
平安京に都が遷都される前の都の長岡京の造営責任者であった藤原種継が何者かによって暗殺された時に、関与したとされる。早良親王は無実だと主張するが聞き入れられず、淡路に島流しとなり、彼の地で非業の死を遂げる。
井上内親王
難波内親王を呪詛したという無実の罪で大和国に島流しとなる。
他戸親王
井上内親王の子で、母と同じく無実の罪で大和国に島流しとなる。
藤原吉子
謀反の罪で川原寺に幽閉され、子の伊予親王とともに自害する。
文屋宮田麻呂
謀反の罪で伊豆国に島流しとなる。
橘逸勢
皇太子恒貞親王を東国に移そうとした承和の変の首謀者として伊豆国に島流しにされるが、途中で病死する。
菅原道真
道真が醍醐天皇の廃位を画策しているという藤原時平の中傷により、無実の罪で大宰府に島流しとなり彼の地で非業の死を遂げる。
吉備真備については、調べてみたのですが、非業の死を遂げたわけではなく、怨霊になる理由がよくわかりません。吉備真備の勉強部屋というサイトで吉備真備について詳しく書かれているのですが、その経歴を見てもやはり謎です。 2015年5月5日追記:左記サイトは閉鎖しています。
このように、奈良時代から平安時代にかけて非業の死を遂げた人々の怨霊が、都で起こる天変地異の原因と考え、その怨霊を鎮めるために、度々、御霊会(ごりょうえ)が行われました。
これを御霊信仰と言います。
今日では、自然災害や病気の蔓延について科学的に説明できるものがほとんどですが、科学によって説明できないものもあります。
もしかしたら、それは非業の死を遂げた怨霊の仕業なのかもしれませんね。
上御霊神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。