京都市左京区にある平安神宮から東に5分ほど歩くと満願寺というお寺が建っています。
広い道路ではなく細い道に面して建っており、周りには民家が多いことから、なかなか気づきにくいお寺です。
私も、この辺りはよく歩くのですが、満願寺の存在を知ったのはつい最近のことです。
興味深い石碑が並ぶ境内
満願寺の最寄り駅は、地下鉄蹴上駅です。
駅から北西に10分程度歩くと、満願寺の入り口に到着します。
表門には、「示現山」と書かれた扁額がかかっています。
示現とは、「菅原道真公の霊の示現」という意味だそうです。
天慶3年(940年)に多治比文子(たじひのあやこ)が菅原道真の霊夢を感じて、西ノ京に朝日寺の最珍とともに一宇を創建し、菅原道真自作の天満自在天の像を安置したことが、当寺の始まりです。
門をくぐり境内へ。
目の前には、江戸時代に建てられた本堂があります。
京都市内に残る日蓮宗の一般寺院本堂の中では古い方に属するとのこと。
説明書によると、建築的には、桁行三間、梁行一間、の身舎(もや)の四週に一間幅の裳階(もこし)をまわして背面に内陣部を出し、さらにその後方に土蔵造の奥陣を付設した複合建築だそうです。
本堂の脇、境内のちょうど真ん中あたりにたくさんの石碑が置かれています。
境内に入った時、建物よりもこれらの石碑の方が気になっていたんですよね。
本堂の前に置かれているのは、「妙経万部之塔」です。
これは、日進上人による1万部の法華経読誦(どくじゅ)の大願成就の記念碑だそうです。
境内で最も目立つ石碑は、下の写真に写っている「俊寛僧都故居の碑」です。
俊寛は、治承元年(1177年)に鹿ケ谷山荘で平家追討を企てた罪で鬼界ヶ島に流されたことで知られています。
その俊寛が居住していたのが、満願寺が建つ辺りだといわれています。
こちらは溝口健二之碑です。
溝口健二は、黒澤明、小津安二郎と並ぶ日本の映画監督です。
溝口健二が専属となっていた大映の永田雅一社長が菩提寺である満願寺に1956年に碑を建立し分骨したそうです。
昭和の映画ファンの方なら、一度は満願寺に参拝してこの石碑を見ておきたいのではないでしょうか。
溝口健二之碑の近くには円い石が置かれていました。
真ん中に四角の穴が空いており、上には「大」、下には「阪」、右には「物」、左には「語」の文字が刻まれています。
どうやら「大阪物語」と読むようですね。
溝口健二は、大阪物語という作品を準備中にこの世を去っています。
この石碑には、大阪物語に出演予定だった2代目・中村鴈治郎さんの名も刻まれています。
満願寺の境内にいると、不思議としんみりとしてきます。
多くの石碑を見ながら過去を偲ぶからですかね。
なお、満願寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。