暑い夏に涼しくなるには、最近ではエアコンや扇風機を使うわけですが、昔から涼しくなるために行われていることと言えば肝試しですね。
夜にお墓に行くなんていうのは、それだけで怖くて、背筋がひんやりとしてくるものです。
京都の夏は、暑いと言われますが、夜に行くと、恐ろしくて、背筋が凍るほど涼しくなるところがいくつもあります。
その中のひとつが、東山区の鳥辺野(とりべの)です。
ここは肝試しには、ちょうど良いところです。
お墓の入口
鳥辺野は、京都三大葬送地として知られている場所。
なので、ここにはたくさんのお墓があります。
お墓の入口は、京阪電車の清水五条駅から東に10分ほど歩いた辺りに建つ実報寺の近くです。
実報寺から坂を上っていくと、右手にずらっとお墓が並んでいます。
その数は、どれくらいあるのかわかりませんが、とにかく多いですね。
夜にここを歩くだけで、背筋がひんやりとしてきますよ。
平安時代、高貴な人はお墓に埋葬されましたが、庶民は、道端でのたれ死ぬなんて事は当たり前で、そういった人の亡骸は、ここ鳥辺野に運ばれ、風葬されました。
風葬と聞くと、供養されたように思ってしまいますが、これは、単に野ざらしにされていたということです。
そんなところを夜に歩くわけですから、それはそれは恐ろしいですね。
清水寺の音羽の道
鳥辺野に建つお寺で最も有名なのが清水寺です。
清水寺と言えば、清水の舞台が有名ですね。
ここからの眺めは、観光客の方に人気で、いつ来ても人が絶えません。
そんな人気の観光スポットも、実は、恐ろしい場所だったんですよね。
「清水の舞台から飛び降りる」という言葉があります。
実際に清水の舞台に行けばわかりますが、こんな高いところから飛び降りるなんてできそうにないですね。
でも、昔は、何人も飛び降りていたんですね。
きっと遠くで見ると飛び降りていたように見えたのでしょうが、実は、死体をここから投げ捨てていたのです。
その死体は、清水の舞台のはるか下にある音羽の道まで、落とされていたのかもしれません。
そんなことを想像すると、とても清水の舞台から下をのぞくことができませんね。
音羽の道の入口からは、死者の声が聞こえてきそうです。
ちなみに清水寺は、夜間拝観が行われることがありますので、夏の夜の肝試しに参拝してはいかがでしょうか。
六道の辻
清水寺から坂道を下りてくると、六道珍皇寺があります。
ここも肝試しスポットとして外すことができません。
この辺りは、六道の辻と言われており、この世とあの世の境目であります。
六道珍皇寺の境内には、平安時代に小野篁(おののたかむら)が、閻魔大王の許に赴くために利用した井戸があります。
そう、ここはあの世への入口なんですね。
夜に井戸に近づくと、あの世に吸い込まれてしまうかもしれませんよ。
六道珍皇寺から西に3分ほど歩いた辺りには、子育幽霊飴を売っているお店があります。
昔、ある夜に女性が飴を買いにこの店にやって来ました。
その女性は1文銭を払って、飴をひとつ買って帰りました。
次の夜もまた同じ女性がやってきて、1文銭を払って飴を買っていきました。
女性は6日連続で飴を買いに店を訪れ、7日目には、お金がないので、羽織を差し出して飴と交換してほしいと言います。
かわいそうに思った店の主人は、羽織と飴を交換しました。
不思議に思った主人は、女性の後をつけていくと、鳥辺野で姿が見えなくなりました。
そこで、お寺の住職に今までの出来事を話し、羽織をみせると、1週間前にその羽織を着た女性がお寺に訪れたと言います。
しかし、その女性は翌朝に亡くなっていたので、三途の川の渡し賃6文と産着とともにお墓に埋葬したということでした。
店の主人は、住職とともにそのお墓に行ってみたところ、そこから赤ん坊の泣き声が聞こえたので、掘り起こしてみることにしました。
すると、お墓からは、産着に包まれた赤ん坊が出てきました。
そう、毎晩、お店に来ていた女性は、すでに亡くなっており、幽霊となって赤ん坊に食べさせる飴を買いに来ていたのです。
そして、7日目には、お金が無くなったので、羽織と飴を交換してもらったんですね。
子育幽霊飴の話を聞くだけでも、涼しくなってきますが、お店の近くには、西福寺というさらに涼しくさせてくれるお寺が建っています。
この西福寺には、「九想観の図」という掛け軸が伝わっています。
実際に見たことはないのですが、この掛け軸には、高貴な女性が亡くなって、遺体が腐り、白骨化するまでの様子が描かれているそうです。
想像しただけでも、恐ろしい掛け軸ですね。
九想観の図は、8月8日から10日の間に西福寺に行くと見れるそうです。
この3日間は、この周辺は六道参りで賑わい、西福寺では、掛け軸や屏風などが展示されます。
夏真っ盛りの8月上旬ですが、六道の辻だけは、ひんやりとしてそうですね。